週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<ボクシング篇/黄金期の「熱狂」>日本中に衝撃を与えた「無名・具志堅用高」の戴冠 (2/2ページ)
ほぼ無名に近い存在だっただけに世間に与えた衝撃は大きく、以後、防衛を重ねるごとに人気が上がっていく。
沖縄が72年に本土復帰して間もない頃で、世界の檜舞台で勝ちまくる同胞の姿に、沖縄の人々は大いに溜飲を下げたのである。
サウスポーの万能型ボクシング、しかも軽量級離れした強打者とあって、具志堅の試合はいつもおもしろかった。視聴率もうなぎ登りで、30%超えは当たり前。初防衛戦で苦戦したパナマの技巧派ハイメ・リオスとの再戦でTKO勝ちしたV5戦(78年5月)は43.2%に達した。
TBSは放映権料を1試合1億円支払ってもスポンサー営業で3億円を売り上げ、局の具志堅担当者たちは軒並み出世している。個人的なことだが、当時、ボクシング専門誌を立ち上げたものの低迷し、廃刊の危機もチラついていたところで、具志堅が防衛するごとに部数が伸び、安堵したことを今でも忘れられない。
その後、一時ボクシング番組は衰退したが、90年代前半にボクシング人気を盛り返した「浪速のジョー」辰吉丈一郎の功績は大きい。敗れはしたが、94年12月、薬師寺保栄とのWBC世界バンタム級王座統一戦は、39.4%を叩き出した。
世間を騒がせたという意味では、09年11月の亀田興毅vs内藤大助のWBA世界フライ級タイトル戦は43.1%と、近年突出した高視聴率を稼いだ。だが、それはボクシングそのものの魅力というよりは、亀田家の言動がジャンルを超えて社会問題化し、注目を集めた結果である。