週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<ボクシング篇/黄金期の「熱狂」>日本中に衝撃を与えた「無名・具志堅用高」の戴冠 (1/2ページ)

アサ芸プラス

週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<ボクシング篇/黄金期の「熱狂」>日本中に衝撃を与えた「無名・具志堅用高」の戴冠

 我が国ボクシングの近代史は、テレビの歩みにも重なる。NHKの定期放映開始は1953年2月だが、その3カ月後にはボクシングがオンエアされていた。当時のテレビ局がボクシングを好んだのはプロレス同様、手っとり早く番組を作るのにうってつけだったからである。

 週刊アサヒ芸能創刊の56年は、日本人初の世界王者・白井義男が前年に引退し、日本に1人の世界王者もいない時期だったが、すでに民放2局が週に一度の定期番組としてボクシングの実況を流していた。「ダイナミック・グローブ」(日本テレビ系)、「東洋チャンピオンスカウト」(TBS系)だ。

 昭和30年代後半から40年代初めにかけて、テレビボクシングは黄金時代を迎える。そうした時代に、世間を騒がせた試合があった。

 フライ、バンタムの2階級で世界を制したファイティング原田は、日本人好みの積極果敢なインファイトで何度も名勝負を演じ、ファンの目を釘づけにした。ビデオリサーチによると、62年からの歴代高視聴率を上げた番組の上位には、紅白歌合戦や東京五輪に並んで、ボクシングの世界タイトル戦が登場する。いずれも原田の試合で、50%を超えていた。

 原田は65年5月、「黄金のバンタム」と称され、歴代最強と言われた無敗の名王者エデル・ジョフレ(ブラジル)とリング史に残る激闘の末、王座についた。そのちょうど1年後に再戦。原田が判定勝ちしたこの試合の視聴率は63.7%。瞬間最高視聴率ではなく、番組平均の数字である。

 ジョフレの78戦の生涯戦績中、敗北は原田に喫した2つのみ。これだけでも原田が国際的評価が高いのは当然で、96年には日本人ボクサーとして初めて、米国の国際ボクシング殿堂に選ばれている。

 原田の引退から6年後、彗星のように現れ、世界Jr.フライ級王座についたのは、石垣島出身の小さな英雄・具志堅用高。所属する協栄ジムの金平正紀会長が新人時代から「100年に1人の天才」と吹聴。メディアのほとんどは「いつもの金平流のホラ」と受け取ったが、これは本物だった。

 今からちょうど40年前の76年10月10日、強打で恐れられたドミニカの王者ファン・グスマンをスリリングな攻防の末に7回KOし、王座を奪取。この時、具志堅はわずか9戦目。

「週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<ボクシング篇/黄金期の「熱狂」>日本中に衝撃を与えた「無名・具志堅用高」の戴冠」のページです。デイリーニュースオンラインは、辰吉丈一郎ファイティング原田週刊アサヒ芸能 2016年 10/20号具志堅用高ボクシングエンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る