ミスiDの功罪&新書でるよ:ロマン優光連載69 (2/4ページ)
一つのミスコンの中に、商業的なコンテストとDIY的なサバイバルという異なる2つのイベントが存在しているわけで、メジャーな領域で活動していく人たちと、アンダーグラウンドな領域で活動していくであろう人たちが「女の子」であるという一点で同じ場に立ち、その表現だけでは商業的に活動を成り立たせるのが難しそうなタイプの人までがアイドルオタクによって商業的に支えられていくようになるという、凄く奇妙な構造を持つ催しです。水野しずさんのような「違う場所」からやってきた挑戦者と、ゆうこすのような芸能の世界でなければ生きられないような人が同じミスコンの出身者というのは凄く不思議な話ですよね。
ミスiDというのは博打みたいなもので、地道な活動をすっ飛ばして上に登れるチャンスを得ようとしているわけですから、ある意味ズルい場所です。DIY枠のミスiD出場者を指して「自己承認欲求の塊」「メンヘラ」とか言われることがよくあります。確かに、それらの発言の多くは「自己主張をする女」「自分の望む自分に都合のよい女性像にそぐわない女」に対するミソジニー丸出しの発言でしかないでしょう。しかし、出場者の中には判で推したような「個性的な言動」「個性的なルックス」しか持ちあわせないような人たちも多くいます。ミスidという博打に出るにあたり、人の心を動かす活動や作品、あるいは商品価値のある履歴や容姿という担保を持たず、特異な個性を志向するがゆえに没個性に陥ってる奇矯な言動しか賭け金を持ってないとしたら、自己承認欲求とかメンヘラとか言われてしまうのは、それが良くない言葉だとしても仕方ないことなのかもしれません。博打は多くを得られる可能性があると同時に非常に危険なものです。あと、特に表現活動や芸能活動をしないまま、サブカル飲み屋みたいな場でオタクとチェキを撮ったりするのが活動になってる人を見ると、あの人は何になりたいのだろうとか、それこそ自己承認欲求で飯を食ってるだけではないかとか、不思議に思ったりしますよね。
低年齢の時からジュニア・アイドルとしてDVDを出したりする活動を続けてきたキャリアのある女の子たちが無策のままミスiDという戦場に立ち、最後まで残れずに消えていく光景はつらいものがあります。あの子たちの場所がそこではなかっただけなのかもしれません。