【プロ野球】日本一に手が届かなかった伝説の球団・近鉄バファローズの日本シリーズを振り返る

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近鉄バファローズの日本シリーズを振り返る
近鉄バファローズの日本シリーズを振り返る

 今年の日本シリーズは、広島の勢いを上まわった日本ハムの優勝で幕を閉じた。応援するチームが日本シリーズに出場して勝敗を論じるのはもちろん、なかなか出場できなくやきもきすることさえ、ある意味、ファンにとっては幸せなことだ。

 かつて近鉄バファローズという球団があった。伝説の「10.19」(1988年)と呼ばれる死闘が今なお印象深いが、その試合を含めて肝心なところでの失敗が多かった。結果的に一度も日本一の座を手にすることなく、2004年にオリックスとの球団合併によりチームの幕を下ろした。

 今年の日本一決定の余韻が冷めないこの時期に、あえて日本一になれなかった近鉄の日本シリーズの歴史を振り返ってみたい。

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■球団創設30年目の初優勝と連覇の時代

 西本幸雄監督が指揮をとった1979年、前期優勝(当時のパ・リーグは前後期制)に続いて、後期優勝の阪急とのプレーオフも制し、球団創設30年目にして初のリーグ優勝を果たす。

 広島との日本シリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦、9回裏1点ビハインドの場面で無死満塁の絶好機を迎えるも、あの有名な「江夏豊の21球」の前に敗れた。

 翌1980年は、後期優勝からロッテとのプレーオフも制して2年連続でリーグ優勝を果たすが、日本シリーズでは再び広島に3勝4敗で敗退。「悲運の名将」といわれた西本監督の晩年を飾ることができなかった。

■黄金期の西武に挑んだ時代

 1980年中盤以降のパ・リーグは、森祇晶監督率いる西武の黄金期。これに挑んだのが仰木彬監督の近鉄だった。

 1988年、西武との激しい優勝争いの行方は10月19日の最終戦、ロッテとのダブルヘッダーまでもつれた。第1試合はものにするも、第2試合は奮闘むなしく延長10回時間切れ引き分け。あと一歩で優勝を逃した。

 リベンジに燃える翌1989年はオリックス、西武との激しい三つ巴の攻防戦。近鉄は、ペナント終盤の大事な局面でブライアントの4打数連続本塁打(四球を挟む)などで西武を突き放し、そのまま3度目のリーグ優勝を飾った。

 巨人との日本シリーズでは初戦から3連勝。しかし、3戦目の勝利投手による侮辱発言(厳密にいえば放言に乗っかったマスコミの煽り?)に巨人が奮起。その後まさかの4連敗を喫した。口は災いのもと…。

■そして激動の球団再編の時代

 梨田昌孝監督の2001年、混戦から抜け出した近鉄は、北川博敏のプロ野球初となる「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打」で劇的に4度目のリーグ優勝を決めた。

 ヤクルトとの日本シリーズでは「ID野球の申し子」古田敦也との対戦が話題となったが、結果は近鉄の1勝4敗と完敗だった。

 2004年、近鉄とオリックスの合併発表に端を発した1リーグ制構想の球団再編問題は、プロ野球史上初のストライキが行われるほどの混乱をもたらしたが、両球団の合併は止められず近鉄は55年の歴史に終止符を打った。

 振り返ると日本一まであと少しというところだったが、敗れ方が本当に劇的だ。記録より記憶に残るという点で、今なお語り継がれるべき球団なのは間違いない。

文=サトウタカシ (さとう・たかし)

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