【東日本大震災の悲劇】大川小学校裁判で原告が勝訴も"事実"はわからないまま (2/3ページ)
第一回目の保護者説明会で「体育館の通路のところから見ているときに何度も揺 れが来て、山の方で木が倒れたり、様子を見ました」「余震が来 て揺れるたびにメキメキと木が倒れる音がしました」などが、他の証言と違う。
第二回目の保護者説明会の前日、生存教諭から市教委にファックスが届いた。翌日の説明会では公開されず、のちに明らかになった。以下はその一部。
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子どもたちが校庭に避難した後、私は校舎内に戻り、全ての教室、トイレを含めてすべて場所を残留者がいないか一つ一つが確認しました。開かないドアがあったりして、全部回るにはかなり時間がかかりました。
確認後校庭に戻り、教頭に報告に行った後、教頭とYS教諭(ファックスでは実名)を中心に何人かが集まって(誰がいたかは記憶がありません)話していました。私が「どうしますか。山へ逃げますか」と聞くと、この揺れの中ではだめだというような答えが返ってきました(どなたが言ったかは覚えていません)。(その理由は余震が続いていて揺れが激しく木が倒れてくるというようなことだったと思います)。
そのほんの僅かなやりとりをしているとき、おじいさんやおばあさんなど近所の方々が避難所になっている体育館へ入ろうとされていたので、私はすぐその場を離れ、体育館に行って、危険だから入らないようにお話をしたりするなどの対応に当たりました。そのとき教頭や他の教員は迎えにきた保護者の対応にあたっていました。そのときも頻繁に強い揺れが続いていました。
そのうち地域の方々が来て、釜谷の交流会館に避難しようという話があり、危険だからだめだといったやりとりを教頭がしているのが聞こえてきました。
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教職員Aの証言は何度かあるものの、内容に一貫性がない。信用できる情報がどれなのかわからず、遺族は、本当のことを知りたいと願っていた。
震災後、市教委の対応を一部の遺族としては不誠実と受け止め、不信感が増すなかで、文部科学省が仲介。2013年2月、第三者による「大川小学校事故調査委員会」が設置された。14年3月、検証委は「報告書」を石巻市に提出した。