【東日本大震災の悲劇】大川小学校裁判で原告が勝訴も"事実"はわからないまま (3/3ページ)
報告書によると、教職員Aの証言として、教頭に「山に逃げますか?」と声をかけたが、返事や指示がなかった。このため、 自分が校内にどこか安全に避難できる場所がないか探すと伝え、再び校舎内へ入った、という。
なぜ、このとき「山」への避難が、教職員Aの頭をよぎったのか。なぜ、返事や指示がないのに、校舎に向かったのか。こうした緊急時には組織的な対応が求められるはずではないのか。その点は明らかではない。
また、津波が来たために裏山に避難することになるが、「山の斜面を登ったところで、倒れてきた樹木に身体の一部が挟まれ、頭から水をかぶった。斜面の上の方から児童の声が聞こえたため、「上に行け、走れ」などと叫んだ。その後、挟まれていた部分から抜け出すことができ、自身も斜面を上へと登っていったが、その過程で眼鏡などを失った。
しかし、その後、避難することになる山の反対側にある自動車整備工場の人は、教職員Aは「水に濡れていなかった」と証言している。その際、教員だと言うことも名乗っていない。証言の食い違いはなぜ起きたのか。こうした点も確認したかったのだ。
遺族の一人は「学校の責任が認められた点はよいが、津波の予見性が争点になってしまった。その点も重要だが、裁判には勝っても、(生き残った教職員Aが証言していないので)その前提となる事実はわからないままだ」と話していた。
Written Photo by 渋井哲也