【日本人が知らないニッポン】「天下布武」は岐阜城から始まった (2/2ページ)
・日本が「日本」になったきっかけ
もしも信長がこの岐阜城を手に入れることなく、志半ばで討たれていたら歴史はどう変わっていたのでしょうか?
岐阜は「日本のヘソ」です。言い換えれば、西国と東国の接続点。史実の信長は東国の徳川家康と連携し、西へと歩を進めました。もしそれがなければ、東西の文化的落差はもっと大きくなっていたのではないかと想像できます。
「接続点の欠如」は東国と西国の対立を生み、近代化に必要な「日本の統一化」が果たされなかった可能性もあります。東京と大阪では歴史上の成り立ちが違うのに、なぜ現在では「同じ日本」なのか。
たとえばスペインでは、決して広いとは言えないその国土内にふたつの独立闘争を抱えています。イギリスでも、スコットランド独立の可能性が話題になりました。エディンバラ出身の人は自分のことを「スコットランド人」とは言いますが、「イギリス人」とは言いません。「それは登録上の国籍だ!」と主張します。
ですが、日本では東京都民も大阪府民も自分のことを「日本人」と言います。考えてみれば、不思議です。ではその統一意識が芽生えたきっかけは何かといえば、やはり織田信長ではないでしょうか。
・信長の意志
本能寺の変で命を落とした信長ですが、彼の意志は家臣だった豊臣秀吉に受け継がれます。
秀吉もまた、金華山から雄大な光景を見下ろした男。信長の意図をよく理解していました。
お館様が始めた天下布武の風を止めてはならない。バラバラになっている日本をひとつにできるのは、「日本のど真ん中」で生まれた自分たちしかいない。
戦国時代は、それまで「別の国」だった諸地域が「同じ国」になっていく分岐点でもあったのです。
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