【プロ野球】「球場へ足を運んでもらうため」 野球のベストパートナー、テレビ中継繁栄史 (2/2ページ)
■1983年11月11日……「珍プレー好プレー大賞」スタート
『プロ野球ニュース』の人気コーナーだった「珍プレー好プレー」が初めて、単独での特番となったのがこの日。『決定!! 第1回プロ野球珍プレー好プレー大賞』として放送され、以降、2005年までは年2回のペースで放送された。この番組のナレーションで「あれ、誰がしゃべってるんだ!?」と話題を集め、人気者となったのが、みのもんた。
■1994年10月8日……日本の野球中継史上最高視聴率を記録
日本プロ野球での歴代最高視聴率は48.8%(※関東地区)。史上初めて、同率首位で並んだチーム同士が最終戦で直接対戦する優勝決定戦「巨人対中日」、いわゆる「10.8決戦」で記録された。

■2016年10月2日……ビン・スカリー最後の実況
今年、テレビ中継繁栄史に新たに加えたいのが「史上最高の実況アナウンサー」と称されたビン・スカリーの引退日だ。10月2日、サンフランシスコ・AT&Tパークで行われたジャイアンツ対ドジャース戦を最後に、ドジャース専属アナウンサーとしての役目を終え、マイクの前から別れを告げた。
ビン・スカリーは1950年、22歳のときにブルックリン・ドジャースの専属アナウンサーに就任。1958年にドジャースの球団移転に伴い、ビン・スカリーもまたロサンゼルスに移り住んだ。
信条は、華美な言葉や大げさな表現を使わず、「1対1で話すような実況」であること。名アナウンサーだったレッド・ハーバーから教わったスタイルを67年間実戦してきた。
これまでに数々の大記録・名試合を担当。1996年には野茂英雄のノーヒット・ノーランを担当し、「『不可能だ』と言う人々を覆し、ヒデオ・ノモがやってくれました!」とアナウンス。今年は前田健太のホームデビュー戦も実況した。
その偉大な功績に対し、ロサンゼルス市議会は今春、全会一致でドジャースタジアム近くの「エリシアンパーク通り」の名称を「ビン・スカリー通り」へ変更することに合意した。こんなアナウンサーは、後にも先にも彼以外現れないだろう。
最後のマイクに先立つこと1週間前の9月25日、今季のホーム最終戦はまさに「ビン・スカリーDAY」。選手たちは打席に立つ前、放送席に一礼し、敬意を表した。そしてドジャースはこの試合で地区優勝を達成。劇的な優勝決定サヨナラホームラン実況が自らの花道となった。
引退に先立つ記者会見で、ビン・スカリーはこんなコメントを残している。
「一生懸命実況をしてきましたが、それは球場へ足を運んでもらうためでもあります。私は野球場で子どもたちを見るのが大好きです。本当に美しい光景です」
これからは、孫の少年野球を見るのが楽しみだという。
文=オグマナオト