野村克也と栗山英樹「恩讐と愛憎の25年」 (3/4ページ)

日刊大衆

29歳の若さで現役を引退した。

「まあ、故障と病気が引退を決める一番の理由だろうけど、干されたからってのもあると思うよ。ノムさんが来て1年で引退しちゃってるわけだし。まあ、叩き上げのノムさんのことだから、“国立大出のコネ入社”が嫌いだったんでしょう」(前出の事情通)

 後に栗山監督はメディアの取材に対して、「野村さんとの時間は僕にとっては宝物なんです。あの経験があるから今、選手たちに対して、きちんと向き合うことができるんだと思います」などと答えて、表面上は野村氏を立てているように見えるが、本音は違うようだ。

「もし、栗山監督がノムさんを本気で尊敬しているなら、“師匠は、野村さんです”と公言しているはず。でも、栗山はノムさんの代名詞“ID野球”という言葉を一切使わない。ノムさんは、そこが気に入らないんじゃないかな」(前出のデスク)

“あの経験があるから”とは、反面教師という意味か。栗山監督がメディアの取材に対して口にするのは、かつての名将・三原脩監督の名前。栗山監督は三原監督がヤクルト監督時代につけていた「80」の背番号を身につけている。

「三原氏は、巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトなどを渡り歩いた勝負師。選手の調子やバイオリズム、相手チームの弱点を見逃さず、周囲があっと驚く采配を何度もやってのけ、魔術師の名をほしいままにしました。今年の栗山采配のそこかしこに、三原魔術の影を見ることができます」(前同)

 たとえば7月中旬、右手中指のマメのためにエースの大谷がローテーションを外れた際、抑えで不調に喘いでいた増井浩俊を先発に転向させる“奇策”が見事に成功。合わせて、大谷を休ませず打者に専念させて、苦しい時期を乗り切った。

 また、11.5ゲーム差からの逆転優勝自体、三原氏が西鉄を率いていた58年に、南海を相手にやってのけた11ゲーム差の逆転優勝に酷似している。さらに言えば、二刀流選手を育てたのも、三原氏が元祖だ。

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