天才テリー伊藤対談「嘉門達夫」(2)どうして落語家をクビになったの? (2/2ページ)

アサ芸プラス

俺が16の時なんて何も考えてないですよ(笑)。

嘉門 それでさっそく弟子入りして、真面目に修業していたんですけど、19歳の時にオーディションを受けたら、(あのねのねの)原田伸郎さんのアシスタントとして「ヤングタウン」のレギュラー出演が決まるんです。

テリー 弟子入りからたった3年ですか。すごいじゃないですか!

嘉門 そうすると、やっぱりラジオの仕事がすごく楽しいわけですよ。「俺は落語がやりたかったんじゃなくて、これがやりたかったんや!」って。そうすると、修業にも身が入らなくなっていくわけです。

テリー まァ、気持ちはわかりますよ。

嘉門 だんだん「何で師匠の家の掃除なんかせなあかんのや」みたいなことになっていって、しまいには師匠から「家に来い」って呼ばれても行かなかったりして(苦笑)。

テリー それはさすがに怒られますよ(笑)。

嘉門 それで破門になって、番組も降ろされて、1年ぐらい全国を放浪するんです。とりあえず能登半島、佐渡島あたりをヒッチハイクしたり、夏は与論島でバイトしながらお客さんの前で歌ったり。

テリー 当時の与論島ってすごかったですよね?

嘉門 すごかったです。冬はスキー場、夏は南の島を行ったり来たりしてるような、ヒッピーみたいな人たちがいっぱいいて。

テリー また当時の与論島は「女とすぐデキる」みたいなイメージがあってね。

嘉門 いやいや、実際そうだったんですよ! こんなに女性との関係が簡単に進むのかって。ある意味、女性観が変わりましたね。

テリー えー! それはうらやましい話だなァ!

「天才テリー伊藤対談「嘉門達夫」(2)どうして落語家をクビになったの?」のページです。デイリーニュースオンラインは、替え唄嘉門達夫週刊アサヒ芸能 2016年 12/15号落語家テリー伊藤エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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