感性を育む。平安の切ない恋物語とは【1月11〜15日】 (3/4ページ)
今では暮らしの中で露を見ても、気にもとめない人が多いかも知れません。
揺れる葉からぽたりと落ちる露は、まさに頬をつたう涙のようだと思いませんか? 露から涙を思い浮かべる感性こそ、いにしえの昔より伝わる日本人の心と言えるのではないでしょうか。
再会
その後、天皇の后となり、貞明親王(後の陽成天皇)を産んだ高子。幼い帝を補佐しながら、政治の場で活躍するようになります。一方、業平は「蔵人頭」という、天皇の秘書官長のような立場となり、天皇に近侍するようになっていました。
そんなある日、高子が藤原氏の氏神である京都大原の神社に参拝した際、供として従ったのが業平だったのです。
長い年月を経てふたたび出会った二人。若かった業平もすでに50代半ば。「愛し合った歳月は、神代の昔ほどに流れてしまった」と悲しむ業平。そのときの高子の和歌が、『古今和歌集』に残っています。
「雪のうちに春は来にけりうぐいすの こぼれる涙 今やとくらむ」
「雪が降っているというのに春がやってきました。うぐいすの凍った涙もようやく、とけるでしょうか」
うぐいすが涙を流す、という視点の美しさに驚きませんか? あまりの悲しみに凍ってしまった涙も、かすかな春のあたたかさを感じて、まるで魔法がとけるように流れていく……。
高子はうぐいすに自身の思いを重ねて、和歌を詠んだのでしょうか。うぐいすが涙を流す、という視点もさることながら、その涙が凍り、そしてとけるという実際にはありえない表現からもまた、いにしえの人々の感性が伝わりますね。
これを恋の歌と捉えれば、どこか淡い希望を感じる表現の中に、意味深な響きも感じられてなりません。しかし、再会の喜びからほどなく業平はこの世を去り、二人の恋は終わりを告げたのです。