人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第51回 (2/2ページ)

週刊実話

言うなら、福田を先に、田中をその次の総裁でということで“手打ち”をさせようとしている」との見方も少なくなかったのだった。この訪米に同行した政治部記者の、こんな話が残っている。
 「向こうではどちらかと言えば福田が渋い顔、田中はハシャギ回っていた感があった。ために、記者団からは『田中が逆に佐藤の抱き込みに成功したんじゃないか』の声も出ていた。田中にそのあたりをぶつけると、『“談合”なんてあるわけがないだろう』とピシリ言っていたが」

 ちなみに、訪米最後の日となったロサンゼルスでは、こんなエピソードもある。同じく、前出の記者の証言である。
 「同行記者団はロスの夜をストリップ劇場で楽しんだのだが、踊り子の艶技“泡踊り”が佳境に入ったころ、何と『角福』両雄が秘書官などを連れて入ってきた。ご両人、舞台前の最前列に腰を下ろして、踊り子の激しい動きで飛んでくる泡をさかんに首を振ってよけていたものです。その後、本場のポルノ映画を見に行こうとなったんだが、福田は『行こう、行こう』、田中は『いやだッ』とかたくなで、結局、実現しなかった。田中という男は、女好きではあるが座敷などでも下ネタはまず口にしないという妙な品のよさがあったんです」

 この「ポスト佐藤」候補は田中、福田の他、三木武夫、大平正芳、中曽根康弘(いずれも後に首相)が「次の次」への布石として出馬を模索していた。当時、この大物5人を指し、世間は「三角大福中」と呼んでいた。しかし、事実上の争いは「角福」両者というのが客観的情勢であった。一方で、佐藤首相の「意中」は福田というのがもっぱらであった。福田は佐藤の実兄である岸信介の派閥を引き継いで「福田派」をけん引していたことから、一つには心情的な面、もう一つは田中は“暴れ馬”、後継となった場合は退陣後の自らの影響力温存がかなわないという読みもあったからともされている。
 一方で、世間が期待したのは、断然、田中であった。学歴がなくとも、苦学力行で政界の頂上へ向けて這い上がってきた。数字に強く、行動力、決断力、実行力がある。義理と人情を解し、きめ細やかな気配りもできる。佐藤までの戦後首相はいずれもエスタブリッシュの官僚出身、「庶民宰相」の誕生を期待したということであった。

 その頃、田中は目前に迫った総裁選をにらんで、秘書にして愛人「越山会の女王」こと佐藤昭子にこう漏らしている。
 「オレは負け戦はしない」
 すでに、佐藤首相の“説得”などは眼中になかった。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

「人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第51回」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る