【プロ野球】東大のエース・宮台康平がドラフト1位!? 神宮を沸かせた最高学府・東大の名選手たちを振り返る (2/2ページ)

デイリーニュースオンライン

■優勝まであと1歩にこぎつけた「両山崎」

 1946年春のリーグ戦。東大が史上最高位となる2位につけたシーズンでチームを牽引したのが、投手・山崎諭と捕手・山崎喜暉の山崎バッテリーだった。

 静岡県立掛川中(現掛川西高)時代には甲子園にも出場した山崎諭は東大のエースに君臨。戦後の物資不足もあり、各校1本勝負、全5試合のリーグ戦で破竹の4連勝を挙げ、最後の慶應義塾大戦は「勝てば優勝」という大一番になった。

 試合は0対1で惜敗。これが東大にとって、最も優勝に近づいた瞬間だった。

 山崎諭の通算成績は11勝14敗。「このシーズンがもし5試合制じゃなかったら優勝も……」と、東大野球部で語り継がれる名投手だった。

 山崎諭は大学卒業後、日本興業銀行の野球部でも選手として活躍。のちに東海大三高(現東海大諏訪高)の校長兼野球部監督となり、1980年には指揮官としてもセンバツ甲子園に出場している。

■名投手続々、神宮を沸かせた東大戦士

 1960年代に東大史上最多となるリーグ戦17勝(35敗)を挙げたのが岡村甫だ。アンダースローで打者を翻弄する変則派の岡村は、絶妙な間合いを駆使して、打たせて取るピッチングで通算防御率2.82の好成績を収めた。

 また、1974年に「破格の新人投手」として神宮に現れた江川卓(法政大)に、初めて土をつけたのも実は東京大である。山本隆樹の粘りの投球や魚住弘人(現日立GE取締役会長)の3安打もあり、江川の投げる法政大に5対0の快勝。意外な大物食いも東大の見どころだ。

 1982年の新人戦で歴代最高の準優勝の原動力となったのは、元NHKアナウンサーで現在、NHK本部報道局で政治部記者を務める大越健介だ。高校時代は新潟高で3年春に県準優勝を果たした実績を誇り、東大在学時は50試合で8勝27敗、防御率3.52の好成績。アンダースローから繰り出す熱血投球で1983年には日米大学野球の日本代表に選出された文武両道エリートだ。

 新治伸治、井手峻、小林至、遠藤良平、松家卓弘は東大からプロへと進んだスーパー野球人。いずれも東大時代にはエース級の活躍をしたピッチャーで、新治伸治は大洋(1965~1968年在籍)で9勝を挙げ、井手峻は中日(1967~1976年在籍)で外野手に転向し、東大出身選手としてNPB初の本塁打も記録している。

 そのほか、1995年春のリーグ戦で首位打者になり、「東大のイチロー」と呼ばれた間宮敦など、野手でも好プレーヤーがたびたび出現している。全体的なチーム力の弱さで判断されがちな東大の野球部だが、これからも野球エリートたちに立ち向かう稀代の好選手の出現に期待したい。

文=落合初春

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