【新東方見聞録】シルクロード交易はここから始まった(中国・西安と洛陽) (2/2ページ)

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それがサマルカンドに移され、ユーラシア西部に製紙法が伝わるのです。

アッバース朝は、中央アジアから中東を挟んで遥か製法のイベリア半島にまで領土を拡大していました。今のキルギスからスペインに至る、びっくりするほど広大な地域です。つまりタラス河畔の戦いをきっかけに、それまで東アジアの専売特許だった紙が一気にヨーロッパにまで伝搬したということです。

紙は極めて優秀な記録媒体。軽量でインクの乗りもよく、しかも折り畳みが利きます。当時の中東やヨーロッパでは、重要記録は専ら羊皮紙すなわち動物の皮に書いていました。これは高級な上、インクがなかなか浸透しないという問題があります。そうであるが故に書き損じを修正できるという利点もありましたが、記録媒体としてはやはり問題があります。

人類は紙という発明品により、さらなる大きな力を手にすることになったのです。

・日本にも多大な影響

東西からの大量の交易品が集まり、さらには世界で最も優れた記憶媒体である紙を生産していた都市。それが唐代の西安と洛陽でした。

あまりにスケールの大きな話ですから、この記事では全容を書き切ることはできません。ですがいずれにせよ、この2都市がユーラシアの変革の軸になったことは事実。そして極東に位置する日本も、唐によってもたらされる富とテクノロジーの恩恵を受けます。

遣唐使船の派遣は歴史の教科書に必ず出てくることですが、それは現代風に言い換えれば産業のない自治体の職員がシリコンバレーのIT企業に研修へ行くようなもの。西安や洛陽に赴けば、紙の存在に裏打ちされた膨大な記録文書に接することができます。そしてそれは様々な分野の学術研究を進歩させる原動力となっていたのです。

8世紀の日本人が唐で得た知識は、のちに平安京という形で独自の開花を遂げます。

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