人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第54回 (2/2ページ)
以下は、その要約である。
「田中は突然のニクソン大統領の訪中、米中国交回復を『やるもんだなぁ。中国は10億(当時。現在は約14億)もの人間がいる隣国なのだから、日本も国交回復を考えねばならん。オレは、中国には命を懸けて行く。命は惜しくない。深夜、目を覚まして思うのは、常に国家国民のことだけだ。(「安保条約」をやった)岸(信介元首相)さんも言っていたが、この気持ちは総理経験者でなければ分からないものだ。ただし、日本国の総理大臣として行くのだから、土下座外交はしない。国益を最優先して、向こうと丁々発止やる。いよいよとなったら決裂するかも知れんが、そのすべての責任はオレがかぶる』と言っていた」
9月25日。田中首相、大平正芳外相、二階堂進官房長官らが、いよいよ北京に向かう。羽田を発った特別機は二階堂の地元・鹿児島の上空を飛んだ。折から、桜島が噴煙を上げていた。二階堂が眼下の桜島を指差して、田中に言ったと同行記者の証言がある。「総理、桜島も燃えていますな」。
その夜の周首相主催の夕食会で、中国側は細やかな配慮、演出をした。田中の新潟、大平の香川、二階堂の鹿児島の故郷の曲である「佐渡おけさ」「金比羅船々」「鹿児島小原節」のメロディーを、大宴会場に流したものであった。
しかし、以後の交渉そのものは、田中らの予想以上に難航した。田中・周会談は、実に4回に及んだ。3回目のそれが済んだ後、田中は毛沢東主席と会談した。先の佐藤昭子は、こうも続けている。
「毛主席は会うやいなや、『周恩来とのケンカはもう済みましたか。ケンカをしないとダメですよ』と言ったそうです。『独特の風格があった』とも言っていました。中国にいる間の田中は、血圧は200以上に上がり、血の小便さえ出たそうだし、食事ものどを通らず、おかゆだけで過ごしたこともあった」
9月29日。ついに日中共同声明発表に至る。同時に、これに反発した台湾が日本との国交断交を発表した。
政治生命を懸けた米国一辺倒外交から自主外交を模索した田中の日中国交回復交渉。米国に「一国主義」のトランプ政権が誕生、あれから45年を経た今この国は、改めて独自の外交を模索しなければならないことを突き付けられている。政治家に不可欠なのは「先見性」であることが、突き付けられているということでもある。(以下、次号)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。