追悼・松方弘樹「修羅の74年」烈しすぎる秘話!(2)隠し子発覚でパイプカット (1/2ページ)

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追悼・松方弘樹「修羅の74年」烈しすぎる秘話!(2)隠し子発覚でパイプカット

 高田は、松方弘樹という役者を、高倉健や菅原文太と比べて分析した。

「僕が書いた『強盗放火殺人囚』(75年、東映)でも、ああいう二枚目なのにコミカルな芝居をやるのがうまいんだ。運動神経がいいのもあったけど、健さんや文ちゃんにはない器用さが抜きん出ていた。ラブシーンをやるのでも、何か1つは工夫を入れてくるしね」

 高田は、笠原和夫に代わって「仁義なき戦い 完結篇」(74年、東映)を担当する。大友勝利(宍戸錠)と並び、凶暴な“ヤクネタ”として松方に市岡輝吉役を用意。松方は目の下に朱を入れるというアイデアで、市岡の不気味さを表現した。

 だが、高田が脚本を書き、松方と高倉健が壮絶な銃撃戦をやった「野性の証明」(78年、角川春樹事務所)では違った。高倉は地上から、松方はヘリコプターに吊られて空から応戦するはずだった‥‥。

 筆者は今から2年前、松方から思いがけない話を聞いた。

「実は僕は大の高所恐怖症で、佐藤純彌監督に『ヘリにぶら下がらない?』と言われたけど、絶対、ダメですと。ところが主演の健さんに『弘樹ちゃん、やりなよ』と言われたら断るわけにはいかない。だけどヘリの操縦が荒くて、離陸と同時に失神‥‥いや、今だから言うけど、実は失禁もしていた。監督が拡声器で『弘樹ちゃん、撃って!』と叫んでいるのが遠くで聞こえる感じだったね」

 結局、アップになるシーンでは地面に穴を掘り、松方をローアングルから撮って、空中戦に見えるように処理したという。あれだけ柔軟に役をこなす松方にも、意外な泣きどころがあったのだ。

 さて、松方の訃報に接し、元妻の仁科亜希子とともにコメントを寄せたのが、松方の愛人だった元歌手・千葉マリアである。

〈お見舞いにうかがいたかったけど、本人が姿を見せたくないということだったので、心の準備はしていました。格好良く生きた人だと思います。私は感謝しています〉

 千葉は84年に松方との間の子を産んでいる。それが87年に発覚し、当時の妻である仁科亜希子が激怒する一幕もあった。

「追悼・松方弘樹「修羅の74年」烈しすぎる秘話!(2)隠し子発覚でパイプカット」のページです。デイリーニュースオンラインは、千葉マリア週刊アサヒ芸能 2017年 2/9号仁科亜希子松方弘樹追悼エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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