【日本人が知らないニッポン】週末は「東海道歴史散歩」に出かけよう (2/3ページ)

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・日本最大の「タンパク源」

駿府城掛川城浜松城は静岡県内にある東海道沿いの城郭です。

このあたりの地域は、気候が温暖な上に海の幸にも恵まれています。武田信玄は若い頃から駿府を狙っていた節があり、現に今川氏の衰退を見計らって駿府に兵を送り込んでいます。その目当ては海産物です。

タンパク源を豊富に自給できるということは、それ相応の軍団を現地で養うことができるという意味です。今も昔も、兵士に食料を与えなければ戦争はできません。

主要交通網であると同時に、食料豊富な土地でもある東海道沿いの諸都市は、江戸時代になると徳川の親藩・譜代の大名が支配するようになりました。過去の教訓から、東海道に信頼できる部下を置かなければ攻め込まれてしまうということが分かっていたからです。

・幕末の東海道

しかし、その防衛機能は幕末には機能しませんでした。

19世紀中葉に差しかかると、徳川譜代の諸藩は弱体化してしまいます。かつての武家の気風はなくなり、藩全体が事務官僚化したのです。さらに各地で倒幕論が浸透していたのも原因の一端としてあります。

戊辰戦争において、東海道沿いでは戦闘はほとんど発生しませんでした。

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