【プロ野球】岸孝之(楽天)を見ると思い出す。西武からパ・リーグ他球団に移籍して活躍したピッチャーたち (2/2ページ)

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■ロッテ移籍で復活した涌井秀章

 涌井秀章は2004年にドラフト1位で西武に入団。プロ2年目の2006年に12勝を挙げ台頭すると、松坂大輔(現・ソフトバンク)が抜けた2007年は17勝で最多勝を獲得。西武の若きエースとなった。背番号が16から18に変わった2009年には16勝を挙げ、2度目の最多勝。さらには沢村賞を受賞とリーグを代表するピッチャーへと進化を遂げた。

 しかし、2011年はヒジ痛に悩まされ、プロ2年目から続いていた2ケタ勝利が途絶える。2012年にはチーム事情で抑えに転向し30セーブを挙げるが、以前の輝きは取り戻せず、2013年オフに地元・千葉の球団であるロッテへFA移籍した。

 移籍1年目の2014年は前半戦の不調が響き、8勝12敗に終わるが3年ぶりに規定投球回数に到達と復活の兆しを見せる。2015年は夏場に白星を重ね15勝。シーズン最終戦、10月6日の楽天戦で延長10回を投げ抜き15勝目を挙げた涌井は、大谷翔平(日本ハム)と勝ち星で並び、3度目の最多勝を獲得した。

■逆に西武から移籍して伸び悩んだ投手は……

 工藤、涌井が移籍先で活躍した一方、逆に西武から移籍後に伸び悩んだ投手もいる。1990年代前半の西武で渡辺久、工藤、郭泰源とともに先発ローテーションを担っていた渡辺智男だ。

 プロ1年目の1989年から3年連続2ケタ勝利と西武黄金時代を支えた。しかし、1993年オフには秋山幸二、内山智之とともに3対3の大型トレードでダイエーへ移籍。背番号18を背負うも移籍1年目の1994年に4勝を挙げて以降、白星から遠ざかってしまう。1998年には西武に復帰したが1軍で登板するなくユニフォームを脱いだ。

文=武山智史(たけやま・さとし)

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