【日本人が知らないニッポン】世界が久能山東照宮に目を向けた理由 (2/2ページ)
1581年にスペイン・マドリードで製造されたもので、当時のヨーロッパの機械技術をすべて注ぎ込んだ傑作です。その時計が、ほぼオリジナルの状態で今も久能山東照宮に所蔵されています。
16世紀の時計が革のケース付きで残っているのですから、まさに奇跡と言うべき現象です。5年前には大英博物館が久能山に調査員を派遣しています。中身の部品まで製造当時のものという例は、この時計の他にありません。
ただ、これと似たような事象は日本ではたびたびあります。毎年公開される正倉院宝物の中にも、現在のイランに該当する地域で作られたガラス細工があります。ですがそれは、今やイランにすらないような貴重な品です。原産国ですっかり失われたものが、何故か日本にあります。
それは結局、外国からやって来た調度品をいつまでも大事に保管する感性が根付いていたからでしょう。
・貨幣経済と東照宮
日本の戦国時代は、じつは文化が大発展した区分でもあります。
西洋と接続することによって最新の貨幣経済が取り入れられ、その結果として国力基盤が大幅に底上げされました。それ以前の室町幕府は、日本史上においても極めて脆弱な政権です。それは中央政府よりも周囲の守護大名のほうが強く、足利将軍家は自力でそれを覆すことができなかったから。
ですが本格的な貨幣経済を導入することで、盤石と思われていた守護大名を叩き潰す新興勢力が誕生しました。我々現代人が連想する日本の城の形は、織田信長が宮大工を集めて安土城を造らせたことに由来します。つまり寺社仏閣や皇居の建築技術を、信長が大金を積んで買い占めたということです。
信長の弟分である家康も、その路線を継承しました。だからこそ、現代人は久能山東照宮という歴史的建造物を見学することができるのです。
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