【プロ野球】さまよえる「ジプシー球団」に「大阪近郊密集」の異常な日常…。パ・リーグ本拠地の変遷史 (2/2ページ)

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■本拠地が定まらなかった「ジプシーロッテ」

 1972年、それまでのロッテの本拠地であった東京スタジアム(東京都荒川区)が閉鎖されてから、1978年に川崎球場(神奈川県川崎市、現存せず)に移るまでの間、ロッテは特定の本拠地球場を持たずにいた。

 高校野球の関係で、阪神が夏の甲子園球場を使用できない時期を「死のロード」と呼ぶが、この時期のロッテは全国の球場を渡り歩く「ジプシーロッテ」と揶揄されることもあった。

 この時期のロッテの主催試合は、首都圏では後楽園球場(東京都文京区)や明治神宮野球場(東京都渋谷区)、川崎球場などで開催。1974年からは宮城球場(宮城県仙台市、現:Koboパーク宮城)を中心に主催試合を行っていたが、正式な本拠移転には至らず、球団事務所や合宿所などの諸施設は東京にあるなど変則的な移転だった。

■1990年~2000年代の本拠地の移転は軒並み大成功!

 ホークスの福岡移転の成功を皮切りに、パ・リーグ他球団も新天地を求めて、以下の通り、全国各地に根を下ろした。

■1988年
南海が身売り。福岡ダイエーホークスとして福岡に移転

■1992年
ロッテが千葉ロッテマリーンズとして千葉に移転

■2004年
日本ハムが北海道日本ハムファイターズとして北海道に移転
東北楽天ゴールデンイーグルスが新規球団として宮城に発足

 移転した全てのチームが、新しい本拠地で日本一を達成するなど成績や観客動員の点でも軒並み大成功。

 現在はどのチームも地域密着を合言葉にファンサービスに務めている。パ・リーグが誕生してから60年以上もの長い年月を経て、ようやくひとつの完成形を迎えたといっていいだろう。

文=サトウタカシ (さとう・たかし)

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