不吉という理由で宮型霊柩車が禁止傾向にあるが私は少し残念な気がしている

心に残る家族葬

不吉という理由で宮型霊柩車が禁止傾向にあるが私は少し残念な気がしている

近頃、宮型霊柩車を見なくなったように思う。少し調べた結果、それは個人の気のせいではなく全国的な傾向だった。維持費が莫大であること、火葬場での乗り入れを禁止する自治体が増えたことなどが主な原因という。また社会的な繋がりが薄れ、葬儀も親族のみで済ませることも多くなった。死を間近で見る機会がなくなった分、自分には関わりのない不吉で不快なもの、避けるべきものとする時代の変化もあるのだろう。

■子供の頃、宮型霊柩車を単純にカッコイイと思っていた

不謹慎ながら子供の頃、筆者は霊柩車を「かっこいい」と感じていた。特に高級リムジンを思わせる黒塗りのボディに豪華な金色の宮が乗せられた宮型霊柩車は、お金持ちの象徴にも見えて憧れであった。

もちろん当時でも霊柩車の目的は知っていたが、ご遺体を乗せることは全く気にせずデザインだけを見ていたのである。子供ゆえの無知や無邪気さからの思いだが、当時はいつか運転してみたいクルマでもあったのだ。

■霊柩車が出て来る映画「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」

さて、そんな霊柩車をマイカーとして乗り回す少年がいたな、と思い出してDVDを再び見てみた。1971年のアメリカ映画「ハロルドとモード/少年は虹を渡る」である。

ごく簡単にいえば79歳の女性と19歳の青年の恋愛映画なのだが、これがなかなか風変わりな作品なのだ。まず二人の交際は「見知らぬ人の葬儀に参列する」という共通の趣味をきっかけにして始まるし、79歳のモードは猛スピードで盗んだ車を乗り回す、排気ガスで枯れかけた街路樹を勝手に引き抜いて森に移植するなどやりたい放題。自由すぎる老女に振り回される若者の姿がコミカルでもある。この出会いによって裕福だが家族の愛情に恵まれず、人生に虚しさを感じていた青年の心が前向きに変わっていく過程をアコースティックなサウンドに乗せて描かれているのもまた魅力だ。

■霊柩車を崖から転落させた

しかしこのモード、ただの破天荒な老女ではない。既存のルールやモラルを無視してまでも自由を愛し、とことんまで人生を楽しむ。同時に「枯れても他のものに生まれ変わるのが生命」「神に祈るのではなく生命と交信するの」といった、映画の舞台であるアメリカのキリスト教的な価値観とも異なった独特の哲学を語る。

その姿は生き生きとして時に少女のようにも見えるが、実は彼女には秘密がある。一つはアウシュビッツ収容所の生き残りであること。もう一つは80歳の誕生日に自らの手で人生の幕を下ろすと決意していることだ。

彼女の選択によってハロルドは愛車だった霊柩車に乗り、崖から転落する。物語の顛末は機会があればご自身で確認して頂きたい。個人的にはまさにモードの言う「他のものに生まれ変わる」ラストであったように思う。

■生と死はセットであり一つのサイクル。死だけが忌み嫌われるものではない。

霊柩車の思い出から映画の話になってしまったが、自身の過去を受け容れ、時には戦うことも必要に感じる。人生の終わりを考える時「どのように生きるか」という自分だけの価値観や哲学が必ずついて回る気がするからだ。

モラルやルールは必要なものだが、それだけでは息苦しい。満足して人生を終えるためには自分の手で何かを掴んでいく勇気も必要なのだと思う。その点からも死は生と切り離せず、忌むべきものでもないのだろう。それにしても生と死が一つのサイクルならば、「この世は楽しかった!またどこかで会おう!」と派手に旅立つのも悪くないとひそかに考えてもいるため、霊柩車が廃れていくのは少し残念である。

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