茶屋娘にキュン♡ 江戸時代の庶民的アイドル「茶屋娘」は江戸女子にも人気だった
江戸時代、庶民にとって憧れの存在といえば茶屋娘でした。茶屋に行ってお茶を飲んだら、可愛い娘さんとおしゃべりを楽しむこともできるのですからこんなに嬉しいことはありません。
出典画像:水野年方-GATAG
「娘ざかり」の茶屋娘たち当時、16歳から18歳ぐらいが「娘ざかり」と言われていたそう。確かに、だんだん大人っぽくなっていく年齢ですよね。娘ざかりの茶屋娘たちが給仕してくれるのですから、男性のお客さんたちが会いに行きたくなるのもわかるような。
元々商家では娘を店先に出すことはなかったのですが、商業が活発になるにつれ身内の女にも手伝わせるようになったとか。決して上手いとはいえない接客が、かえって世慣れしておらず素朴で良いと好評になり、茶屋娘の知名度がアップしました。中でも美人娘は客寄せ効果がバツグンだったとか。
さらに、鈴木春信や喜多川歌麿など当時の有名な浮世絵師が美人娘を描いたため、ますます彼女たちの人気は高まっていきました。
女子も憧れちゃう茶屋娘美人娘は男性だけでなく女性にも人気で、髪型を真似されたりと、庶民のファッションリーダー的存在でもあったそう。ただ、あまりに評判の高い美人娘になると、お湯をほどよい加減にして出すだけで特に話し相手も務めなかったとか。それでも、美人にお茶を出してもらえるだけで充分嬉しかったのでしょうね。
明和の三美人は、笠森稲荷の鍵屋おせん・浅草寺裏の柳屋お藤・二十軒茶屋の蔦屋およし。一方、寛政の三美人といえば、難波屋おきた・高島屋おひさ・菊本おはんでした。
江戸名所百人美女の内 目黒龍泉寺 歌川国貞(初代),歌川国久/画 江戸東京博物館蔵
評判娘がいるとなれば、茶屋代もどんどん高くなります。最初は5文(約125円)だったのに、24~50文になってしまいます。なんと100文渡すお客さんもいたとか。
若くて美人の茶屋娘は、今でいう「会いに行けるアイドル」的な存在だったのでしょう。
時代と共に茶屋も…しかし、最初は身内の娘だった茶屋娘も、雇い女を置き売春する水茶屋が出てきたことで、文化2年(1805年)に、茶くみ女の年齢が決められてしまいました。13歳以下、40歳以上なので、お年頃の美人娘を店先に出して、客寄せすることができなくなったのです。
もし、雇い女を置くお店がでてこなければ、茶屋娘の年齢制限されることもなかったはず。いつの時代も、あわよくばと悪いことを企む人はいるものですね。
トップ画像: 江戸東京博物館
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