作家なのかライターなのか...今更ながら「肩書問題」を考察してみた|久田将義コラム (2/2ページ)
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久田将義
が、「少し痛いな」と思ってしまいました。その人が学歴も職歴もかなりのキャリアの持ち主であり、年上という事もあったのでしょう。「いちいち宣言しなくても」と思ってしまったのです。
僕はノンフィクション畑で育ってきました。ですから小説家の方とあまり接する事はありません。が、たまに出版パーティなどでお会いしたりするときもあります。
芥川賞、直木賞を取った方もいらっしゃいます。特徴があります。大体が名刺をもっていない。あと、自分から作家と名乗ってないのではないか。おおむね、「小説を書いています」「物書きです」というような自己紹介をされていた記憶があります。
自ら名乗るのが「痛い」のではないでしょうか。作家は人から言われるのが、雑な言い方をしますと「カッコいい」のかなと思っています。名乗るのも自由ですが、名乗られた側がどう思うのかも自由です。
二つ目の問題ですが、日本ではライターが作家より地位が低いとみられているのでは、という「空気」が漂っている気がします。欧米ではライター=作家ですからこういう偏見はなくなってほしいものです。
また、ライターも作家も免許がいらない自己申告制ですから、ややこしくなるのだと思います。銀行などで職種の欄に「ライター」「作家」とはないですから。銀行などという公的性が強い機関では、理解ではない職種は「アヤシイ」思われてしまうのでしょうか。
僕などは女性芸能人が結婚する「実業家」(特に西麻布の、とかがつくと)逆に「アヤシイ」とし職業柄か感じてしまう訳ですが。
僕は文章を書ける人を無条件に尊敬しています。僕が書けないからです。大学時代にそう悟りました。では、文章を書く人のサポートをしようと。つまり編集者になろうと考えました。
ライター、作家、どう名乗ろうが書く人に対して僕はリスリスペクトします。ただ、僕も人間です。感情があります。時と場合によっては「痛い」と感じる事あるのも事実です。とは言え、物書きは小説だろうがフィクションだろうが、コラムであろうが書いたものか全てです。読者の評価が全てです。どう名乗ろうが、自ら名乗ろうが結果が全てです。例え「痛い人」と仕事をしようが、あがってきた文章が素晴らしければすべてが帳消しになります
そういう世界です。
Written by 久田将義(東京ブレイキングニュース編集長)
Photo by JoshArdle Photography