縄文〜弥生時代にも存在した葬儀の習俗「再葬墓」について調べてみた (3/3ページ)
それによって新たな秩序を生み出す、「社会安定装置」としての機能を併せ持っているという。それは古代に限らず、現代であっても、葬送儀礼やお盆などで人が集まった際も、同族同門意識などの社会的な紐帯や相互序列の確認と継承、及び再編成・再生産が行われる。それと同時に、集まった人々の間で、様々な情報が交換されたり、死者の財産が消費・分配される。しかも、葬送儀礼を誰が執り行うかによって、亡くなった人が生前に有していた地位や権威・財産などの継承がどうなるか決定・周知される「場」にもなるのだ。
■最後に…
一旦埋めた骨を再び掘り出して、焼いたり、または特定の骨を細工するなど、埋葬の方法は現代のそれとは大きく異なるものの、そうした一連の儀式、モニュメントが置かれた「場所」は、現代同様、およそ3500年前の縄文・弥生人の共同体の中での「社会安定装置」としての役割を果たしていたことは間違いない。
3500年後の地球上の「日本」に「日本人」、或いは別の「〜人」が存在しているかどうかはわからない。しかし未来の人々が、2000年代の「日本人」を研究することがあったとしたなら、旧来の方式を継承しているもの、または、今現在ではある意味実験的とも言える新しい葬送儀礼や墓所について、どのように考えるだろうか。今以上に科学技術が発達しているであろう3500年後の葬送儀礼や墓所は、現代のそれとは大きく異なったもの、場合によっては理解しがたいものであることは言うまでもない。
参考文献:民俗小辞典 死と葬送、 縄文時代の考古学 9 死と葬い 葬制、 縄文時代の葬墓制・社会・死生観