縄文〜弥生時代にも存在した葬儀の習俗「再葬墓」について調べてみた (2/3ページ)

心に残る家族葬



(1)死亡 (2)配石(はいせき)された場所での儀礼 (3)配石墓での土葬 (4)遺骨の掘り起こし (5)焼骨葬 (6)選骨 (7)一部の焼人骨の壺への納入、残った焼人骨の配石墓への埋納 (8)壺に入れた焼人骨を土坑へ埋納

現在の我々は大体(1)死亡 (2)葬儀 (3)火葬 (4)宗教儀礼 (5)墓所 の順番で亡くなった人を埋葬している。縄文・弥生時代の人々に比べると、とても簡略化されているように思われる。

もともと、焼かれた獣の骨を砕いて、配置した石に埋納したり、撒いたりしたと思しい儀礼は、人骨との関連よりも歴史が古いとされている。時代が下り、人骨を焼く儀礼が取り込まれたのは、狩猟生活が活発化したことと関連があるという。長野県で始まったとされる焼人骨葬は、新潟県域1例、山梨県域2例、愛知県域2例、奈良県域2例、大阪府域1例と拡大していた。それと同時に、縄文晩期には、長野県域外の、主に愛知県域で行われていたとされる、「盤状集骨葬(ばんじょうしゅうこつそう)」が長野県域に流入された。
盤上集骨葬とは、一旦土葬にした遺体を白骨化した頃合いに掘り出す。そして大腿部の骨を井桁状に組み上げ、その中に他の骨を入れて再葬したもののことである。異なる再葬墓の様式が他地域に相互的に存在するのは、人々の往来、移動範囲が広がったことを意味するものだ。再葬の際に骨を焼く、または焼かずに組み上げる習俗には、当時の人々にとって、どのような意味があったのだろうか。

■葬送儀礼とは、そもそもなんだろうか

考古学者の山田康弘は、死者のために墓を造り、その後も墓参りなど、何らかの儀礼を行う、墓を「守る」こと(墓制)、また、人が死んだ際、死者と残された人々のために行われる儀礼や習俗(葬制)、そしてそれらがまたがるもの(葬墓制)について、以下のように述べている。

死者を祀る儀式や習慣、墓を造ることなど、一連の葬送儀礼は、必ずしも埋葬された人を追悼するためだけにあるのではない。ある家族共同体において、誰かの死が生じたことによる労働力の低下、様々な知識・知恵の喪失、人望などの物理的・精神的損失を補填するために、葬送儀礼をする。
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