江戸時代グルメ雑学(3)将軍も惚れ込んだ江戸初期の「天ぷら」ってどんなもの?

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江戸時代グルメ雑学(3)将軍も惚れ込んだ江戸初期の「天ぷら」ってどんなもの?

欧米やアジアなど海外の人が好む日本料理のひとつに、天ぷらがあります。新鮮な魚介類や野菜など素材のバリエーションの豊富な天ぷらは、多くの人に愛されるメニューになっています。実はこの天ぷら、日本独自の料理と思いきや、海外の様々な文化とコラボレーションした国際的な料理なのです。

月岡芳年「風俗三十二相 むまそう」

キリスト教徒の精進料理だった天ぷら

天ぷらは漢字で天麩羅と書きますが、それは諸説が存在し、天麩羅と書いて『あぶら』と読んだのを訓読みした説や、『フラリと江戸に来た天竺浪人(浮浪人)』が作ったと言う説がありますが、戦国時代の日本に貿易や布教に来たヨーロッパ人の食生活に由来するとする説が有力です。

主な語源には、スペイン語ないしはイタリア語で斎日を指すtémporas、ポルトガル語で精進料理を意味するtemplo、ポルトガル語で魚を食べる金曜日の祭事を意味するtemporrasがあります。

いずれも欧州では宗教上の理由から、獣肉の代用として魚を食べる精進日があることに起因し、油で硬くする調理を意味するポルトガル語のtemperar説とも相まって、キリスト教徒が精進日に食べた魚の揚げ物が天ぷらのルーツと呼ばれているのです。

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家康が好んだ天ぷらの正体は南蛮漬け?

元々、日本では中国から油で揚げる調理法を取り入れていたのもあり、揚げ物は古くから存在しました。ただし、それは野菜中心の精進料理、もしくはお供え物に使われる揚げ菓子を作る方法でした。

そうした揚げ物文化を確立していた日本人は、牛肉や乳製品はさほど食べずとも、欧風の魚料理を基にした揚げ物を独自にアレンジし始めます。その珍味に惚れた人は多く、上方商人の茶屋四郎次郎もその一人でした。

そんな彼は、かねてから懇意だった徳川家康に謁見した際に上方で人気の料理として「鯛をかやの油で揚げ、ニラを薬味にした」南蛮料理を紹介し、家康もそれに興味を示しています。それが天ぷらだったとも言われていますが、どちらかと言えば揚げ物に薬味を加える点では南蛮漬けか、中華料理の油淋鳥に近いですね。

この『鯛の天ぷら』を試食した家康がその直後に体調を崩し、程なくして亡くなったために天ぷらが死因とする説は今も根強く残っています。良かれと思って勧めた茶屋氏も、さぞかしショックを受けた事でしょう。

しかし、その前から家康には胃腸の病があった事と、亡くなる3ヶ月前に供された料理だったことから、天ぷら死因説は俗説とも言われています。何れにしても、徳川幕府の初代将軍とその側近がのめり込んでしまったことで、天ぷらは日本史に深く刻まれる事となったのです。

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