忘れがたき「昭和のいい女」を一斉追跡!<メモリアル対談・立見里歌&内海和子(おニャン子クラブ)> (2/3ページ)
内海 楽しいことは全部ダメだったんです(笑)。
──そうした抑圧の日々だと、メンバー間のゴタゴタとかは?
立見 あれだけ人数がいたら、確執もあったでしょうけど、でも、陰湿なイジメはなかったかな。
──ここ数年、初期メンバーの新田恵利(49)と国生さゆり(50)が「それぞれの派閥を率いてバトルしていた」って話していますが。
内海 気づかなかった。
立見 恵利ちゃんとさゆりちゃんの2人だけが気にしていたんじゃないんですか(笑)。
──ちなみに、2人が仲のいいメンバーは?
立見 初期メンバーはけっこう集まるんですよ。私と「ニャンギラス」を組んでいた白石麻子ちゃん(47)とか。
内海 生稲晃子(48)が六本木でご主人と鉄板焼きのお店をやっているので、ゴハン食べるならアッコの店に行くことも多いですね。
立見 演歌一筋の城之内早苗ちゃん(48)や、唯一のハーフだった山本スーザン久美子ちゃん(50)ともよく会います。
──おニャン子はソロとしても毎週のようにチャートの上位を占めていた。86年4月には「私は里歌ちゃん」も1位。ただ、歌い出しの不安定な音程は語りぐさ(笑)。
立見 私、本当に音痴なんです。歌い出しのカウントも何回いったら‥‥って言われてるのに、合わない。
内海 あの歌はあえて、ヘタさを出すために歌いにくくしていたと思います。
──そして86年11月には、内海和子のソロデビュー曲「蒼いメモリーズ」が発売。オリコン初登場3位の記録ですが。
内海 悔しかったですね。