江戸時代グルメ雑学(4)串カツスタイルだった江戸の「天ぷら」が現代の形になるまで (2/3ページ)

Japaaan

『近世職人尽絵詞』など、当時の絵画には町人の男性だけでなく、女性や子供、そして下級武士と思しき刀を差した男性客も天ぷらを買い求める様子が描かれていることから、安価なグルメとして愛されていた事が見て取れます。

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世界で愛される日本料理になった天ぷら

当初こそ、職人や農民と言った庶民向けの安価な食べ物だった天ぷらでしたが、時代が進むにつれて高級志向に傾いて行きます。それは、高級品から庶民の味になっていった寿司や麺類とは正反対の傾向ですね。

江戸や各地の都市部では料亭が生まれつつありましたが、天ぷらは油や素材をグレードアップさせる事で高級料理の仲間入りを果たし、更には来客の前で揚げて見せたり、依頼主の所まで出張して出来立てを振る舞うなどのサービスも生まれました。今で言う、お座敷天ぷらの元祖とも言えます。

近代化以降、屋台で売る天ぷらは徐々に廃れていきますが、専門店や惣菜屋の天ぷらは今でも健在で、天丼、天ぷらそば、天むすなど派生商品も多く生まれています。その勢いは留まるところを知らず、日本に揚げ物を伝えた中国や天ぷらの語源をもたらした欧州にも逆輸入され、ついには日本を代表する料理の一つとして、今に至るのです。

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