謎多き歌人「蝉丸」とは一体何者?百人一首に「蝉丸ルール」なるものもありますね
坊主めくりの人気者(?)
以前「猿丸大夫」をご紹介しましたが、かるた遊びでおなじみの百人一首の作者にはもう1人、大変印象的な人物がいます。
その名も「蝉丸」。読み方はそのまま"せみまる"と読みます。
(画像出典:Wikipedia)
百人一首の遊び方の1つ「坊主めくり」などで見て、よく覚えているという方も多いのではないでしょうか?まとめて裏返して置いた絵札をみんなで1枚ずつ引いていくという、シンプルなルールで親しまれている「坊主めくり」には、一般的なルールの他に「蝉丸ルール」と呼ばれるローカルルールが存在する場合もありました。
例えば
◯「蝉丸」が出たら、全員の札を真ん中に置く
◯「蝉丸」を引いた人は1回休み
◯「蝉丸」を引いた人は、その場でビリ決定
などです。そんな特別ルールができてしまうほど、「蝉丸」のインパクトは百人一首の作者の中でも、ひときわ強かったということでしょう。
蝉丸の謎そんな人気者の蝉丸ですが、そのインパクトとは裏腹に、どんな人物だったのかについては詳しいことは分かっていません。
10世紀頃の人であること、逢坂山に住んでいた盲目の琵琶法師だったこと、式部卿敦実親王に仕えた雑色だったこと、実は醍醐天皇の第4皇子だったなど、様々な逸話が「蝉丸伝説」として伝わっています。
『今昔物語集』の巻24には、蝉丸が「逢坂山に住む盲目の琵琶の名人」として登場し、音楽の才能の優れていた醍醐天皇の孫・源博雅がその琵琶を聴くため、3年にわたり蝉丸の庵に通い続けたというストーリーが取り上げられています。
百人一首の10首目に取り上げられている蝉丸の歌は
「これやこの 行くもかへるも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」
彼が住んでいたと言われる「逢坂」の関を詠み込んだもので、逢坂山と縁の深い人物だったことだけは、まぎれもない事実のようです。
「行くもかへるも」「知るも知らぬも」と対句を盛り込み、関所を行き交う沢山の人々を見て「この世の無常」や、人々が出会って別れていく「離合集散」のありさまを歌っています。ミステリアスな世捨て人・蝉丸ならではの、哀愁とテクニックを盛り込んだ「名歌」ですね。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan