映画『チョコレートデリンジャー』について:ロマン優光連載84 (2/4ページ)
しかし、実際はそうはならなかった。最初のクランクアップから現在に至るまでの紆余曲折、そこで何が起こっていたかについては、後に語られた監督本人の言葉で知るしかない。私たちはクランクアップ後も延々と続く撮影、増え続ける出演者、ニューヴァージョンが生まれ続ける予告編、といった状況に戸惑っていた。まったく状況がわからないまま、話を聞かなくなり、もう公開はされないのではと思い忘れかけると、突如として思い出したように新情報がもたらされる。何年もそういう状況が続いた。そして今年、遂に『チョコレートデリンジャー』は公開された。
現在公開されているものの原型になるであろう長尺の予告編を初めて見た時に私はのけぞった。かって想定された完成形からかけ離れたそれは、その時点で完全なる混沌だった。実験的とはいえる。しかし、実験映画には実験映画のスタイルというものが存在するわけだが、そういった文法から明らかに逸脱している。そのわかりにくさは同時にわかりやすいくらいに杉作J太郎その人であり、その姿はそのまま『チョコレートデリンジャー』の9年であり、杉作J太郎の過ごした9年間だった。
未だに現時点での完成形(そして、それは更新され続けている)を見ていない私だが、これだけはわかっている。「いやー、あれヤバいよねー。」とかいう『サブカル』的な浮ついた見方をしていい作品ではないということだ。「ヒドすぎて笑っちゃう! 最高!」みたいな捉え方をしていい作品ではないということだ。面白い、面白くないという判断は個人が勝手にすればいい。感動する人も、酷評する人もいるだろう。ただ言えるのは、作品を見るからには真っ直ぐに向かい合わなければならないということだ。
杉作J太郎という人は全てにおいて何かに反対することではなく、何かにならないこと、何かでないことを貫いてきた人だ。「そんな風に人は言うけれど、本当はそうではないかもしれない」ということを発し続けてきた。「あなたはそうかもしれませんが、私はそうではないのです。」と優しい笑顔で言ってきた男なのだ。
反○○などというものは○○が存在しないと成り立たないものだが、○○でないということは○○が存在しなくても成立する。『反』などというものは対象があって初めて成立するもので、対象の陰画でしかない場合だって多い。