「ゴールデン街」最古参マスターが述懐する59年(2)最初は色街目的の客ばかり (2/2ページ)

アサ芸プラス

新宿駅前で宣伝して、店まで連れてきても『女はいないのか』と言われ続けた」

 その後、64年には東京オリンピックで日本中が大騒ぎとなる。外国人客が大勢来るから、花園街での風俗営業はできない。いわば、「第一期新宿クリーン作戦」の時期だった。

「当時は酒の売り上げが食事代より多いのはダメ。客と話してもダメ。12時過ぎの営業はダメ。全部、風俗営業に当たる。警察のきつい指導の連続だった。何度、警察に通ったことか」

 酒場と役者の二足のワラジだったが、仲間も役者では食えない連中ばかり。彼らの食いブチも確保しようと、芝居仲間を巻き込んで店をリニューアルする。

 劇団美術部による内装の刷新など、手作りでオープンさせ、店名も語呂で今の「突風」と命名する。

 新聞に〈青線跡にBARがオープンした〉と報じられたこともあり、徐々にこの一帯にもバーが増え、現在の礎ができていく。

 三光町の名前も78年に「歌舞伎町」と変わった。

笹川伸雄(ジャーナリスト)

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