歌舞伎町・区役所通りで高級クラブ37年のママが回顧(2)上京1年で歌手デビュー! (2/2ページ)

アサ芸プラス

うれしかった」

 北は留萌から南は博多まで、全国を公演で回った。しかし前座の駆け出しが歌手だけでやっていけるわけではない。

 ハコヤ(キャバレーなどを専門に歌手を派遣するプロダクション)から仕事をもらい、キャバレーの前座で歌って生計を立てる日々が続く。

「立川の寮を出てからは三鷹の3畳1間のアパート暮らしで、次に越したところも西武線・井荻の4畳半。家賃を払うのも大変だった」

 歌手生活4年で3枚のレコードを出す。全て故郷が舞台の歌だった。

 3作目はハコヤのプロダクションから制作の費用300万円を求められた。

「『テレビのスポットに金がかかる。その他の宣伝にも金がかかる』。そう言われて、応援してくれる親に泣きついた」

 しかしレコードは売れない。そんな時、話し声が耳に入った。

「数百万なんてはした金、瞬きする間に消える」

 彼女の目から初めて涙がこぼれた。

「“私は何とも親不孝”と、歌手をやめる決心がついた」

笹川伸雄(ジャーナリスト)

「歌舞伎町・区役所通りで高級クラブ37年のママが回顧(2)上京1年で歌手デビュー!」のページです。デイリーニュースオンラインは、愛田愛南部美人週刊アサヒ芸能 2017年 6/8号笹川伸雄歌手カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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