【プロ野球】常勝・阪急の上田利治、寝技師・根本陸夫、つなぎ役・阿南準郎ら、無名選手から監督で開花した名将たち (2/2ページ)

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■「つなぎの監督」として結果を残した阿南準郎

 1986年、広島を3度の日本一に導いた古葉竹識に代わって監督となったのが、長年、広島でコーチを務めた阿南準郎だった。

 阿南は1956年、佐伯鶴城高から広島に入団。二塁、三塁、遊撃を守り、1964年には主に二塁のレギュラーとして137試合に出場。古葉と二遊間を組んだ。前出の根本が監督に就任した1968年に近鉄へ移籍し、1970年限りで現役を引退した。

 阿南が監督になったのにはわけがある。現役最終盤を迎え、将来の監督候補と目されていた「ミスター赤ヘル」こと山本浩二が監督に就くまでの「つなぎ役」として監督を任されたのだった。

 監督1年目は巨人との激しい優勝争いに競り勝ち、リーグ優勝を成し遂げる。西武との日本シリーズでは第1戦に引き分けた後、第2戦から3連勝。日本一にあと1つまで迫るも、そこから4連敗。日本一を寸前のところで逃してしまった。

 1987年、1988年は2年連続3位とAクラスをキープし、「つなぎ役」だけではない監督としての手腕を発揮した。1988年限りで監督を退き、当初の予定通り山本に監督をバトンタッチした。

■将来が期待される楽天・平石洋介2軍監督

 最後に、現在のプロ野球界で、上田氏のように監督としての将来が期待される指導者を紹介したい。楽天の平石洋介2軍監督だ。

 平石2軍監督といえばPL学園高時代にキャプテンとして3年春夏の甲子園に出場。夏の準々決勝では、松坂大輔(ソフトバンク)擁する横浜と延長17回に死闘を繰り広げた。この試合で、平石は三塁コーチズボックスから横浜の捕手・小山良男(中日コーチ)の構えから松坂の球種を見抜くなど、重要なキーパーソンとなった。

 高校卒業後は同志社大、トヨタ自動車を経て2004年、誕生したばかりの楽天にドラフト7巡目で入団。7年間プレーした後、2012年から2軍外野守備走塁コーチ、1軍打撃コーチなどを歴任した。

 そして、昨季、2軍監督に就任した。平石は楽天にとって球団初となる生え抜きの指導者。様々なコーチを務めた上に、2軍監督で経験を積み、将来の1軍監督候補として大いに嘱望されている。

文=武山智史(たけやま・さとし)

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