信長もその死を悲しんだ…死んでもなお漢の生き様を示した「鳥居強右衛門」の悲劇 (3/3ページ)

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『落合左平次道次背旗 鳥居強右衛門勝高逆磔之図』 東京大学史料編纂所蔵

また、信長はその死を悲しんで鳥居の妻の出身地・作手村(新城市作手)に墓を建立させ、主人であった奥平貞昌は鳥居の子孫を手厚く待遇してして、強右衛門の手柄に報い、子孫は現在まで続くこととなりました。

戦国時代で熱い生き様を見せた人物と言えば武将のイメージが強いですが、その他の人々も苛烈な時代を自分なりに切り抜けていました。鳥居強右衛門は、下級武士でありながら武将に匹敵する闘志を持った一人だったといえます。

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