「死」をオブラートに包む様々な類似表現と、それを使いすぎることの是非 (2/2ページ)

心に残る家族葬



障害のある人を直接その言葉を使って揶揄するのは許されないことですが、信頼関係があるからこそ率直に言えるということもあります。また以前は、心から障害者を心配し、支援する人もその言葉を使っていましたし、それは聞いていて不快なものではありませんでした。今は差別用語とされる言葉を使いながら、その人たちを地域の一員、仲間として受け入れていたのだと思います。

表舞台から姿を消した言葉たちは、見えない所ではびこっているのかもしれません。見えないからこそ、規律もなく、配慮もなく、野放図に使われて、誰かを傷つけているのかもしれません。

■最後に…

今日都市で暮らしていると、肉も魚も切られてパックに入って売られ、ゴミは収集車が持って行けばきれいに無くなり、排泄物はボタン一押しで-時には何もしなくても-流れて行ってしまいます。
確かに、便利で清潔な生活は快適です。そう簡単に昔に戻ることはできません。昔がいいことばかりだったわけでもありません。それでも今、見えるところがきれいになったことで、何か大切なことを忘れてはいないか、と、歌の文句をきっかけに考えてみました。

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