リトアニア・カウナスで、6000人のユダヤ人を救った「東洋のシンドラー」杉原千畝の足跡をたどる (2/3ページ)
でなければ私は神に背く・・・」

それから、カウナスを離れるまでのおよそ1ヵ月間にわたって、寝る間も惜しんでビザを書き続けました。
カウナスの杉原記念館では、杉原千畝の生涯が紹介されているほか、彼が使っていたデスクや「命のビザ」の再現、ビザ発給にかかわる資料などを見ることができます。

記念館内には、日本文化研究センターも設置されていて、日本とリトアニアを結ぶ架け橋としての役割も果たしています。
・メトロポリス・ホテル

杉原千畝が「命のビザ」の発給を始めたころ、カウナスの旧日本領事館はすでに、ソ連政府から一日も早い退去を求められていました。
1940年8月、ソ連当局によって領事館を退去させられた杉原千畝が一時滞在先としたのが、「メトロポリス・ホテル」。彼は、一人でも多くのユダや人の命を救うため、ここでもビザを発給し続けたのです。
ホテルは現在も新市街のメインストリート、ライヴェス通りで営業しており、外壁には杉原千畝の功績をたたえるプレートが掲げられています。