一度も達成されていない「夏の甲子園完全試合」に最も近づいた投手とは?

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一度も達成されていない「夏の甲子園完全試合」に最も近づいた投手とは?

 投手にとって最高の栄誉である完全試合。甲子園では78年の春の選抜第50回大会で前橋(群馬)の松本稔が1回戦で比叡山(滋賀)相手に、94年の春の選抜第66回大会で金沢(石川)の中野真博が1回戦で江の川(現・石見智翠館=島根)相手にと、2度の達成者が現れている。ところが春の選抜よりも長い歴史を誇る夏の選手権では、いまだに達成者が現れていないのだ。

 ノーヒットノーランは過去23回達成されていて、これは春の選抜の12回(前述した完全試合2試合含む)よりも断然多いのだが、不思議なことになぜか完全試合は成し遂げられていないのである。

 その中でも最も惜しかったのが、82年第64回大会での佐賀商のエース・新谷博(元・西武など)だろう。1回戦の木造(青森)戦。佐賀商が7‐0とリードして迎えた9回裏2アウトまで新谷は1人のランナーも許さないピッチングを展開し、夏の甲子園史上初の完全試合を続行していた。だが、27人目の打者・ピンチヒッターの世永幸仁の右腕に痛恨の死球。“あと1人”まで迫っていたのだが、最後の最後で夏の甲子園史上初の完全試合を逃してしまった。それでも続く1番打者をセカンドゴロに打ち取り、大会史上19人目のノーヒットノーランを達成したのだった。

 この完全試合、大会が始まったのが1915年だから実に1世紀以上も達成者なしという本当に実現困難な記録となってしまった。それだけに新谷が27人目のバッターに与えたデッドボールはまさに“世紀の死球”となってしまったといえよう。

(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=

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