ないと不便ですよね?かな文字に欠かせない「濁点」が誕生した理由とは?

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ないと不便ですよね?かな文字に欠かせない「濁点」が誕生した理由とは?

濁る音は文脈から判断するしかなかった「初期のかな文字」

以前、平仮名と片仮名の発祥の歴史についてを取り上げさせて頂きました。

かつて「かな文字」は女性用だった?「かな文字」成り立ちの歴史と秘密に迫る

日本語を書き表すための日本独自の文字「かな文字」が誕生したことで、日本の文学は大きな発展を遂げ、『源氏物語』『枕草子』などの名作が次々と生まれ、世に出ていきました。


そんな素晴らしいかな文字ですが、実は発明当初は大変不便な点がありました。濁音や半濁音を表すものが、何もなかったのです。

現代でこそ、濁音を書き表す時には「濁点」、半濁音を書き表す時には「半濁点」を付けるのが当たり前となっています。しかし、かな文字が成立した当初はそういったものが何一つなく、清音と濁音の違いは「文脈の流れ」から判断していました。

…非常に読みにくかったであろうことが、容易に想像できますね。

最初の濁音記号は、経典の記号から生まれた

実際、昔の人々にとっても、これは相当読みづらく、紛らわしかったようです。どうにか文章を読みやすくしよう!ということで、平安時代に「濁点」の原型と言うべき記号が使われるようになりました。

かな文字の濁音を表すためにまず導入されたのは、「陀羅尼(だらに)」という仏典を音読する時に使われていた「声点」と呼ばれる記号でした。これは元々は、漢字の横に「・」を入れてアクセントを表すためのものでしたが、この点を「・・」にして仮名の横に付けることで、濁音を表したのです。

この他にも「濁音を分かりやすく表そう」という試みからいくつかの記号が発明されていましたが、それらはだんだんと整理され、現在の濁点「゛」に統一されていきました。

昭和までは濁点が使われなかった「法令文書」

ちなみに「大日本帝国憲法」などの法令文書は「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」のように記載され、長らく濁点が使用されることはありませんでした。このような文書にも濁点が使用されるようになったのは、大分時代が下った昭和に入ってからのことです。濁点が公式に認められてからの歴史は、意外に短かったのですね。


いかがでしたでしょうか?

ちなみに、半濁音を表すための半濁点「゜」は、これまた違った経緯をたどって発明されたのですが、それについてはまた別の機会にお話したいと思います。

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