【日本人が知らないニッポン】「武士の都」鎌倉の栄光と挫折 (2/2ページ)

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彼らには「朝廷から邪険にされていた」という思いがあります。だからこそ、鎌倉幕府最大の危機である承久の乱を乗り切ることができました。

そんな鎌倉時代に栄えた文化は、ひとことで言えば「重厚」。武士たちは京都で流行ったような極彩色の華美ではなく、宗教的理論により忠実な設計思想を用いてあらゆる建造物を作りました。この当時、それまでは観念主義的で「金持ちの宗教」だった浄土教が大衆化し、浄土宗や浄土真宗といった宗派に枝分かれします。仏教が公家だけのものではなくなった、ということです。

ですから、鎌倉の寺社文化はある意味で京都のそれを凌駕しています。現代の鎌倉にあるお寺は、まさに「仏教の大衆化」の象徴と表現できます。

・時間が経てば弱くなる鎌倉

ところが、鎌倉幕府はひとつの設計ミスに気づかず、それが原因で滅亡してしまいます。

その設計ミスとは、「時が経てば弱くなるシステム」です。

当時の武士の遺産相続は、その家の兄弟姉妹全員に相続権がありました。だから遺産を分割するのですが、当時の「財産」とは専ら土地を指します。お金と違って、土地は増えません。

1000坪の土地を5人で分けると、1人当たり200坪。そしてその200坪を次世代の4人兄弟に与えると、1人当たり50坪です。わずか3世代を経ただけで、経済力が20分の1に細分化されてしまいました。そうしたことが、鎌倉時代には全国各地で頻発したのです。

さらに鎌倉時代末期、大陸から元帝国が侵入してきました。これを打ち破ったはいいのですが、今度は恩賞問題というものが発生します。手柄を挙げた武士に与える土地がない、ということです。

それに対する不満が蓄積し、ついに鎌倉幕府は武士からの信用を失います。こうして日本史上稀に見る「奇妙な平和」を構築した鎌倉時代は、終焉を迎えるのです。

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