金正日の実父説のある「金策」とは何者か|金正恩の父・金正日の「日本人説」その2

まいじつ

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その1からの続き)

“金策=金正日の実父”という説の金策(キム・チェク)は、金日成とともに満州抗日軍の出身で、日本軍に追われてソ連極東軍第88特別偵察旅団に編入された。当時、金日成は金策の部下で、この旅団にはのちに金日成の妻となる金正淑(金正日の実母)もいた。

この説の元となるピョートル・パク氏によると、金日成は自分に似ていない金正日よりそっくりなシューラ(2歳下の次男)を溺愛した。シューラは金正日が6歳のときにふたりで水遊びをしていて溺死したことになっている。だが、事実はシューラの頭を水につけている金正日を発見した側近が駆け付けたときには、すでにシューラは死んでいたとパク氏はこの事故の様子を伝えている。

「金正淑との関係が囁かれる金策も謎の死を遂げています。1951年の朝鮮戦争のさなか、すでに故人だった金正淑の誕生日に弔問のために金日成の寝室を訪ねているのですが、その翌日に、当時前線司令官兼副首相だった金策の事故死が発表されたのです。死因は一酸化中毒死とされますが、自宅は電気オンドル(朝鮮半島で普及している床下暖房)であり中毒死はありえないとパク氏は付け加えています」(北朝鮮ウオッチャー)

金策が本当に金正日の実父だとすると、金国泰(キム・グクテ)とは異母兄弟ということになるが、彼の能力を金正日は買っていなかったという。

「金国泰の奥方は“カカア天下”で有名でした。人事を一手に掌握していますから、人事の季節には賄賂がこの夫人に集まってしまうのです。金正日の金国泰に対する評価は“愚鈍なやつ”で、その能力はあまり買っていませんでした」(同・ウオッチャー)

金策は金日成たちと共に抗日活動を行い、朝鮮共産党系組織に入ったあと、中国共産党に入党して中華人民共和国北満省委員会書記へと出世する。しかしその後、日満の軍警の弾圧が厳しくなったため、ソ連に亡命して戦後になって朝鮮半島に戻る。

「金日成28歳、金策38歳の1941年1月から6月のあいだに、金日成一家と金策は同じ野営で暮らしていたようで、そのときにできた子が金正日だというのが、金策が正月の父親だという話の元なのです」(同・ウオッチャー)

その3へ続く)

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