保毛尾田保毛男問題:ロマン優光連載94 (2/4ページ)
差別を糾弾する差別的な人々
こういった事柄が話題になると「行き過ぎたポリコレが息苦しい」という話はよく出ます。それは本当にそうなのでしょうか? 欧米におけるポリティカル・コレクトネスのあり方は、ここまで縛ってしまうとさすがにやりすぎなのではと、個人的に感じてしまう部分があります。そういった部分の反動がトランプ支持に繋がっていったのではないかという話はよく出ます。しかし、日本では行き過ぎたポリコレもなにも、ポリティカル・コレクトネスの概念が社会に浸透、定着してるわけでは全然ないわけです。逆に、昔だったら人前でそういうことを言うべきではないと常識で考えられていたようなこと、そういうことを人前で表明することは下劣な行為であると考えられていたようなことが、なし崩し的にネットという媒介を通して過剰に発言され、それが日常にフィードバックされているような状態なわけで、ポリコレ云々以前の状況であると思うのです。その一方で、欧米のポリティカル・コレクトネスに触発された人が増加したり、マイノリティの声をあげる力が高まってきてたりしているわけで、その差が激しく開いてるのですよね。「建前」という是々非々のある日本の慣習の良い部分が失われてしまった一方で、それに代わるものが何もないという状況というか。
こういった論争みたいなものはインターネット上で起こりがちなのですが、この件もそういう時に起こりがちな「自分の意見に反する陣営に属してる特定の異常な言動をする人物を見つけ、全体でそうであるかのように解釈して攻撃する。」という問題に飲み込まれてしまった部分はあったのではないかと思います。相手に理解して欲しい、理解してもらって改めて欲しいというのが本題なのに、過剰な言葉で状況に即していない必要以上の糾弾をする少数の人たちと、それに対して「奴らは言論統制をしようとしているファシストだ!」と言い出すような人たちだけが悪目立ちして、本当に大事な話がどこかにいっているような気がするのです。ネットで話題になるということは、基本的にそういうことではあるのですが。
何かに対する差別を問題視している人が他の事象に対して差別意識を発揮している場合があります。特に差別意識はなくても、無意識のうちにうちにやってしまってることも。