あのタモさんの生みの親・赤塚不二夫が愛した老舗洋食店 / 東京都新宿区中落合の「ぺいざん」 (2/4ページ)

GOTRIP!

近くには、大正12年に創立され80余年の伝統を有する目白学園が運営する目白大学が存在するため、お昼にはご近所さんだけでなく、多くの学生を見かける事ができます。

たっぷりのラードで揚げられた各種のフライとボリューム満点のメニューが多くのお客様に愛されている街の洋食店、それが「ぺいざん」なのです。

ただ、1つ他の洋食店と異なっているのは、あのタモリさんを発掘した伝説の漫画家・赤塚不二夫さんがこよなく愛した洋食店だということ。

・伝説の漫画家・赤塚不二夫とは?
赤塚不二夫さんといえば「天才バカボン」に「おそ松くん」、「ひみつのアッコちゃん」に「もーれつア太郎」などの大人気漫画を連載し、「ギャグ漫画の王様」と呼ばれた天才漫画家。

そんな天才漫画家は、戦前当時の満州国と中華民国の国境付近で生まれ、10歳の時に終戦を迎えます。

終戦後の引き上げの際に妹や弟などの肉親を亡くし、さらには満州からの引き上げという理由で差別を受けるなど、想像を絶する壮絶な戦前・戦後を過ごした赤塚少年は、映画の看板を制作する新潟市内の看板屋に就職、多くの映画を鑑賞することで、当時お笑いの最先端だったチャップリンなどの喜劇に感銘を受けます。

その後、東京へと上京した赤塚少年は、石森章太郎の手伝いということで、手塚治虫や藤子不二雄、など、知らない人はいない、と言い切っても過言ではないほど伝説的な漫画家が多数出入りするトキワ荘に移り住み、その後、数々のギャグ漫画を執筆していく事になります。

そんな赤塚不二夫さんが見出した1人の芸能人、その方こそ、タモリさん。

タモリさんの感謝の気持ちは、赤塚不二夫さんが無くなられた時の弔辞にしたためられていました。

弔辞を記したと思われていた巻紙は、まったくの白紙で、その白紙の弔辞を約8分間も読み上げたタモリさんに世間は非常に驚きました。

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