天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 福田赳夫・三枝夫人(下) (2/2ページ)
また、副総理時代の南米歴訪では、在外公館が気を利かし、福田の行く先々ですべて麺類でもてなした。同行の役人、記者たちは途中で麺類を見るのもイヤになったが、福田のみ嬉しそうに口にしていた。夫人も相当の麺好きで、福田も交じえて一緒にそば屋に入ったことがある。まま鶏肉の入ったそばが出たのだが、この鶏肉も夫妻揃ってダメ。二人して、鶏肉を丼からつまみ出していた。夫婦とは、長い間によく似るものだと思いました。まさに、“夫唱婦随”の福田夫妻だった」
福田は、“造語”が得意だった。「わが輩は明治38歳」「昭和元禄」「昭和の黄門」といったユーモア造語に巧みだったが、一方で「日本国は近い将来、この福田を必要とするときが必ず来る」といったような、「日本国」「天下国家」といった“書生論”の響きが伝わる言葉を、随所に発するのが特徴の政治家でもあった。永田町では珍しく、“書生の香り”がする政治家でもあったのである。
最後に、夫妻の人間味溢れるエピソードを挙げておく。
福田については、大蔵省官房長のときである。大蔵省の車に乗って外出した。そのとき、運転手がこんな話をした。「自分の娘は私立の名門女子大を受けて学科試験はパスしたのですが、面接でハネられました。あとで聞くと、父親である自分が運転手であることが響いたらしいのです」と。
聞いていた福田は、大蔵省に戻ると、早速、運転手の名称改革に手をつけ、それまでの「雇員」という運転手の職分を「大蔵技官」という名称に改めさせたのだった。「大蔵技官」となれば、学校関係者も、たいそうな立場であることを連想するだろうということだった。運転手のすべてが、喜んだことは言うまでもない。いまでも、大蔵省では美談として残っている。
それから歳月が流れ、福田は大蔵大臣として大蔵省に戻ってきた。先の運転手はすでに昇進して幹部職にあったが、あえて志願して福田の大臣専用車のハンドルを握り、福田の恩にせめてもと報いたのである。
三枝夫人も、こうした姿勢は同様だった。福田邸には来客の手土産などが、山のように溜るのが常だった。普通なら適当に家で処分、あるいはうまく他所への手土産に使うなどの活用ということになるのだが、三枝はこれを溜めておき、毎年末、孤児院などの施設に回していたのだった。それは福田が首相を退陣するまで、20年間ほども続けられていた――。
=敬称略=(次回は大平正芳・志げ子夫人)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。