「山の神」以外にもいた!箱根駅伝の歴史に名を刻んだ往年の名選手たち

前回、箱根駅伝の5区の山登りで驚異的な記録を出し「山の神」と呼ばれた選手たちをご紹介しました。
2018年も神の降臨あるか!?お正月の茶の間を湧かせた箱根駅伝の「山の神」たちしかし箱根駅伝の醍醐味は、山登りだけではありません。これからの活躍が期待されるランナーが多数出場する大会は、未来のオリンピック選手を予想しながら観戦するのもまた一興なのです。
箱根駅伝の誕生のきっかけは「オリンピックで日本を強くするには、長距離・マラソンの選手を強化することが必要」と考えられたからでしたが、実際に箱根駅伝から巣立って行った選手たちは国内外で輝かしい活躍を見せています。
今回は、箱根駅伝の歴史に名を刻んだ往年の名選手をご紹介致しましょう。
瀬古利彦箱根駅伝をはじめとする駅伝やマラソンの解説者として知られる瀬古利彦さんは、早稲田大学の代表として1977年から4年連続でエース区間である「花の2区」を走りました。3、4年生の時には区間新記録も更新した、まさに箱根のスター選手だったのです。
大学卒業の年の1980年にはマラソンでモスクワオリンピックの日本代表にも選ばれましたが、ソ連のアフガニスタン侵攻により西側諸国がオリンピック出場をボイコットした影響で、出場はかないませんでした。
その後国内外のマラソンで輝かしい成績を残し、1984年のロサンゼルスオリンピック、1988年のソウルオリンピックの代表にも選出されました。
現役引退後は、ヱスビー食品陸上部監督、早稲田大学競争部コーチ、日本陸連役員などを歴任し、2017年現在はDeNAランニングクラブの総監督を務めています。

芦ノ湖 箱根駅伝の銅像
渡辺康幸現役時代は「スーパー康幸」の愛称でも知られた元祖イケメン箱根ランナー・渡辺康幸さんは、早稲田大学のスーパーエースとして前項の瀬古利彦さんの指導のもと、大活躍した選手です。
大学では箱根駅伝に第69回~4年連続で出場し、3度の区間賞を獲得(そのうち2回はエース区間である花の2区)、その他にも世界ジュニア陸上競技選手権大会で3位、ユニバーシアード福岡大会で優勝、世界陸上代表に選出など、輝かしい成績を残しています。
早稲田大学卒業後はヱスビー食品で競技を続け、実業団対抗駅伝などで活躍。マラソンで世界を目指し、アトランタオリンピックの10000mの代表に選出されるも、怪我のために出場はかないませんでした。
2002年の現役引退後は、母校・早稲田大学で長距離選手の指導にあたり、2010〜2011年にはついに早稲田大学を箱根駅伝優勝+大学駅伝3冠獲得に導きました。「選手達がゴールで監督を胴上げする時のために」と毎日選手達と一緒に走り、10キロ以上のダイエットに成功したエピソードも、記憶に新しいところです。
2015年4月〜住友電気工業の陸上競技部の監督に就任しています。
箱根駅伝から世界へ羽ばたいた選手たちその他にも、箱根駅伝から世界へと舞台を移し活躍した選手、現在も活躍中の選手は沢山います。
2012年のロンドンオリンピックでは東海大出身の佐藤悠基選手(5000m、10000m)、拓殖大出身の中本健太郎選手、藤原新選手、山本亮選手がマラソンへ出場。また2016年のリオデジャネイロオリンピックでは早稲田大出身の大迫傑選手(5,000m、10,000m)、東洋大出身の設楽悠太選手(10,000m)へ出場し、過去2回のオリンピックで合計6人の箱根駅伝出身ランナーが活躍しました。
2020年の東京オリンピックでは、箱根から世界に羽ばたく選手が何人誕生するか今から楽しみですね。
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