玉木正之のスポーツ内憂内患「日馬富士暴行、なぜ『両成敗』ではダメなのか」 (2/2ページ)
その基準は、暴力は絶対にいけないというものだ。「あんたらの時代は終わった」という貴ノ岩の横綱に対する発言が無礼だったとか、横綱の前でスマホを触り続けた態度が悪かったとか、そういう若い力士の態度を横綱が正し、曲がった性根を叩き直そうとした‥‥ということなど関係ない。
どの程度の暴力だったのか、ということだけが問題となり、処罰が決まる。貴ノ岩の無礼や態度の悪さは暴力度ゼロ。それに対して日馬富士の暴力は、暴力度が10か50かは知らないが、ゼロでないことは確か。
しかし大相撲(日本相撲協会)として、それでいいのか? これは、天下の横綱が暴行傷害の犯罪者と指弾されなければならないほどの事件だったのか?
弟子の貴ノ岩が暴力を振るわれたことを怒る師匠貴乃花親方の心情は理解できる。が、その怒りは、警察の調査と真相解明や、検察の追及と罪状認定、裁判所の裁定と処罰が下されなければならないほどのモノだったのか? 貴ノ岩には落ち度がなかったのか?
「暴行事件」のあった翌日には、日馬富士と貴ノ岩は和解したとの報道もある。貴乃花親方みずから「喧嘩両成敗」という考えで、日馬富士と伊勢ケ浜親方に強く抗議すると同時に、弟子の貴ノ岩にも厳重注意を喚起すれば、日馬富士も貴ノ岩も、そして角界も、誰も傷つかずに反省して済んだはず。それが伝統ある大相撲の処し方のはずだ。
玉木正之