あの人気小説は「松本幸四郎」がモデルだった!? (1/2ページ)
2018年1~2月の2か月にわたり、東京・歌舞伎座で、「二代目松本白鸚」「十代目松本幸四郎」「八代目市川染五郎」の親子3代襲名披露興行が行われます。今回は大名跡「松本幸四郎」にまつわる問題を。(文中敬称略)
【Q1】八代目幸四郎をモデルにした時代小説は?
松本幸四郎一門、いわゆる「高麗屋」といえば、現在の歌舞伎界の一角を占める名門です。「高麗屋の3代同時襲名」は初めてのことではなく、実は1981(昭和56)年にも行われています。その際も今回同様に、孫の金太郎が染五郎に、その父親の染五郎が幸四郎に、そのまた父親の幸四郎が白鸚に……と、ひと世代ずつ玉突きで繰り上がるかたちでした。
このうち、最も歴史が古く権威がある名前が「松本幸四郎」で、「白鸚」はいわばその上の隠居名です。初代はその名を襲った翌年に他界したため、披露興行以降は舞台には出ていません。なお、二代目の白鸚、つまり今の幸四郎は、襲名後も活動を続ける予定なので、ファンの方はご安心を。
さて、その初代白鸚ですが、八代目幸四郎として活動中は、歌舞伎の枠にとらわれない活動を展開していました。当時の歌舞伎界の大スターには珍しく現代劇にも出演するなど、進歩的な考えの持ち主でした。ある小説家は、八代目をモデルに小説を書き、その作品は映像化されて大ヒットしています。その作品は?
(1)『半七捕物帖』
(2)『鬼平犯科帳』
(3)『銭形平次』
【Q2】五代目幸四郎にまつわる習わしは?
松本幸四郎の歴史を語るにあたり、避けられないのが五代目の存在です。1838(天保9)年に75歳で亡くなったこの俳優は、落ちくぼんだ眼や高い鼻が印象的な顔立ちだったそうで、“鼻高幸四郎”と呼ばれました。当初は二枚目役者を目指していましたが、凄みのある容貌のため、早々と悪役に転向。「あまりの怖さに子どもが泣き出す」とまで言われる個性派として大成しました。
現在でも、五代目幸四郎ゆかりの役を演じる役者は、敬意を表して、舞台に立つ際にあることを行うのが習わしとなっています。