野外、銭湯、出会茶屋?江戸時代はどのような場所で愛を営んでいたのでしょう?

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野外、銭湯、出会茶屋?江戸時代はどのような場所で愛を営んでいたのでしょう?

江戸時代の男女は、様々な場所で愛を営んでいたようです。室内だけでなく、屋外でも楽しんでいました。ただ、経済的に余裕がある男女と庶民だと、愛を営む場所も異なるようですね。

裕福な男女はいずこで?

家じゃないところでいちゃいちゃしたいとなると、出会茶屋に行く男女もいたようです。ただ、ここは、15000円~20000円くらいと料金はかなりお高め。食事も付いていたようですが、彼らにとってのお楽しみはほかにあるので、おそらく食事はさっさと済ませていたのではないでしょうか?

一番有名だったのは、上野・不忍池の湖畔にあった出会茶屋です。蓮茶屋または池の茶屋とも呼ばれ、部屋から不忍池に浮かぶ蓮を眺めることもできたよう。出会茶屋だけでは物足りなくなったときは、隅田川の屋根付き船を利用していました。川中まで船を進めさせてから、事に取り掛かったとか。

混浴銭湯も格好のデートスポット。庶民は思うがままにどこでも

では、庶民はどこでいちゃいちゃしていたのでしょうか?ズバリ、「どこでも」あり得るのです。中には、え?こんなところで?という所も。蔵の中や物陰は、当たり前。縁の下でも、行われていたとか。春画では、男だけが縁の下にもぐり込み、縁の先の板に開けた板から一物を出すという光景もちらほら。もしこれが本当のことだとしたら、ビックリですね。

男女混浴だった頃は、銭湯も格好のデートスポット。仲睦まじい人と一緒にお風呂に入ったら、自然といちゃいちゃしてしまうのでしょう。カップルでなくても薄暗い浴槽の中では、女にちょっかいを出す男もいたとか。そんなこともあり、風紀が乱れるという理由で、1791年の寛政の改革で男女混浴が禁止されています。それでも、なかなか完全に男女混浴がなくなることはなかったようですが…。

さらに花見や蛍狩りなど、その季節ならではのイベントにも、つきものでした。お酒を呑んではしゃいでいるうちに…そんな気分になってしまうのかも?当時も芝居などの娯楽はありましたが、お金はかかるから、いつでもというわけにもいきません。その点、愛の営みなら出会茶屋などを除けばお金はかからないし、刺激はあるし、庶民にとって最高の娯楽かもしれませんね。

参考文献:大江戸性愛学続春画色模様百態

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