「年越しそば」が定着したのは江戸時代。そして江戸吉原で大晦日に行われた「狐舞」とは? (1/2ページ)

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「年越しそば」が定着したのは江戸時代。そして江戸吉原で大晦日に行われた「狐舞」とは?

師走となると、街中がせわしかったのは、江戸時代も同じだったようです。歳の市では、しめ縄など年始に使うものを買う人・売る人で大賑わい。縁起物は値切らないのが、粋だったそう。

深川八幡宮では、12月14日・15日には行われていたとか。その後を追うかのように、浅草観音や神田明神、芝愛宕神社などでも歳の市が行われていました。その中でもひときわ賑やかだったのが、浅草観音。江戸一といわれる市で、羽子板を売る店が多かったことから、羽子板市とも呼ばれていたようです。

また江戸の商売は、盆と暮れの年2回勘定または暮れのみの年1回勘定だったので、貸した方は取り立てに必死です。そんな慌ただしい中、お歳暮が届いたら、身も心もほっこり。人気の食材は、塩引鮭、干鯛、鴨など。

年越しそばは新年最初の食事だった?

そして、大晦日のお楽しみといえば、やっぱり年越しそばです。旧暦では、日付は日が沈むことで切り替わると考えられていたので、つまり大晦日の食事は新年最初の食事とされていたのです。

現代と同じように年越しそばが定着したのは、江戸中期から。その頃、江戸では脚気が流行っており、そばを食べると脚気にならないという説が広まっていたそう。

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