まさに奇祭な強飯式?新しくって面白い江戸時代のお正月の風景パート2

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まさに奇祭な強飯式?新しくって面白い江戸時代のお正月の風景パート2

前回の「新しくって面白い江戸時代のお正月の風景」に引き続き、今回も一風変わったお江戸の正月の風景をご紹介します。

こいつぁ春から縁起がええ!新しくって面白い江戸時代のお正月の風景

愛宕山の強飯式(ごうはんしき)

火伏せで有名な愛宕神社では、正月の3日に変わった儀式を行いました。その名も強飯式(ごうはんしき)。
麻裃に、長い太刀、頭に橙や昆布、シダの葉などを飾ったザルをかぶり、手にはスリコギと巨大しゃもじを持ったヘンテコな格好をした「毘沙門の使い」が儀式の主役です。

楊洲周延「時代かゞみ 天保の頃(部分)」国立国会図書館蔵

実はこの人物、愛宕神社の女坂の上にあった「あたごや」という水茶屋の主人です。強飯式の流れは、この毘沙門の使いが若い衆を率いて愛宕神社の男坂のキツイ石段を登り、本殿から男坂を下り、円福寺に入ります。


松濤軒斎藤長秋[他]「江戸名所図会 7巻」国立国会図書館蔵

円福寺の中はこんな様子。一般客もやんやと盛り上がる中、僧侶の前には茶碗に山盛りのご飯が並びます。毘沙門の使いは大しゃもじをドンドンドンと突き、自分が毘沙門の使いである事を述べた後、「飲みやれ飲みやれ!云々」と命じ、僧たちはそれに従って山盛りのご飯を食べました。まさに奇祭です。

門松いろいろ

江戸時代の門松は今よりバリエーションか豊かでした。江戸城の門松は、徳川家康の出身地の三河での慣習に倣って、葉を取り除いた竹を用いました。それとは反対に、今ではあまり見かけませんが、当時は葉の付いたままの背の高い竹を用いた門松も江戸のあちこちでよく見られました。


斎藤幸雄 編[他]「江戸名所図会. 巻1」国立国会図書館蔵

大名家の門松は家によってかなり個性があり、平戸藩の松浦家は椎の木の枝、対馬の宗家は椿など、そもそも木の種類が違う家もありました。

最も変わり種だったのが秋田藩の佐竹家で、なんと6人の足軽を不動の姿勢で立たせて門松代わりとしました。もはや松ではないので「人飾り」と呼ばれたそう。彼らは門松の役目なので、どんなに偉い人が玄関にやって来てもお辞儀などの動作はせず、全く無反応。1時間ごとに交代で、ひたすら門松として通りの人の往来を眺めていたのです。

この人飾りと並んで、佐賀の鍋島藩の「鼓の胴の松飾り」も個性的な松飾りとして、江戸では有名でした。


画像:鼓の胴の松飾り 佐賀県立佐賀城公園公式ホームページより

また、肥後では松飾りの奪い合いといって、5日に町ごとに少年たちがチームになって、門松を奪い合うという奇習もありました。

三河万歳(みかわまんざい)

江戸ではよく見られた正月の三河万歳。太夫と鼓を打つ才蔵が二人組で祝言を述べたり朗らかに歌い踊りながら各家々を回るめでたい芸でした。

楊洲周延「江戸風俗十二ケ月の内正月万歳説之図」国立国会図書館蔵

徳川家康の出身地という事で、三河の万歳が最も多かったようです。面白おかしく歌い踊る三河万歳は子供たちの人気者。長屋の子供が寄り集まって仲良く万歳を見てげらげら笑いこける風景も、お江戸の正月ならではでした。


一陽斎,山東京伝「一月万歳」国立国会図書館蔵

参考文献

河合敦「江戸の四季と暮らし」国立国会図書館蔵
北嶋廣敏「図説 大江戸おもしろ商売」学研
八木清一郎「一国一奇面白風俗噺」国立国会図書館蔵
三田村鳶魚「江戸の春秋

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