近代的避妊法「ピル」はどうやって開発されたのか (2/2ページ)
波瀾万丈な人生を送ったサンガー
避妊普及運動の先駆者マーガレット・ヒギンズ・サンガー(Margaret Higgins Sanger)は1879年にアメリカのニューヨーク州コーニングにアイルランド系移民の第6子として生まれた。

彼女が19歳のとき、母親が亡くなるのだが、母親は結核を患いつつも、生涯11人を出産し、そして7回も流産している。このことでサンガーは子供を産ませ続けた父親を恨み、貧困と子だくさんで不幸になると強く思うようになるのである。
その後、結婚し、子供も産まれたサンガーは看護師になった。そこで中絶の失敗で死んでいく人たちを見て「やはり大事なのは避妊だ」と確信する。そして看護師を辞め、避妊啓蒙運動を始めるのであった。ところが、当時のアメリカでは避妊の情報を流すのは違法行為だったため、連邦政府に起訴されてしまった(有罪だと最長で懲役45年)。
1914年、サンガーはイギリスに逃亡するが、そこで知り合った知識人たちのおかげで告訴は取り下げられ、アメリカに帰ったサンガーはついに避妊クリニックを開設することになったのである。
このクリニックは大繁盛したが、そのせいでまた警察に目を付けられてしまい、逮捕されてしまうのだ。
ところが、刑務所内で行ったハンストが世間の注目を浴び、逆に避妊普及運動は広く知られることとなり、支持者も広がっていった。
その後も避妊具のペッサリーを密輸したり、いろいろと騒動を起こしたサンガーであったが、70歳を過ぎたころ、自らが主催したニューヨークのパーティーで、ついにピンカスと知り合うこととなるのである。
サンガーやピンカス、その他いろいろな協力者が力を合わせ、世間の良識や偏見との激闘の末に獲得したのが避妊薬『ピル』だった。ピルのおかげで生理痛がなくなる、生理のタイミングをずらすなど、女性たちは人生の質を高めることができたのである。